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吊るされた大根からの壺漬け作り

吊るされた大根を眺めながら登下校していた。
戦前から建っていたような古めかしい農家の軒先に白い大根が幾本もぶらさげられていた。

背のまがったおばあちゃんが、縁側にひろげた新聞紙のうえに大根を置き、荒縄で大根をしばっている作業風景を、背のひくい垣根の向こう側から眺めていた。
おじいさんは、おばあさんの横で茶を飲んでいた。

谷崎潤一郎であれば、陰翳があるといったであろう郷愁を感じさせられる大根を吊るしていた農家は、いまはない。
何年かまえに取り壊され、ぴかぴかの五階だてのビルが建った。

ところで、大根は冬のものなのだろうか。
水上勉は『 土を喰う日々 』にて、夏の大根の一夜漬けがあれば、白米三杯は食べられる。おおよそそのようなことを書いていた。
夏の新鮮な、切ると透明なお汁があふれだしてくる大根に塩をふりかけ、できれば岩塩がいいね、さらに大根の葉でも一緒に漬けこめば贅沢がすぎる一夜漬けができる。
水上勉がいうとおり、白米を何杯でも食べられるような一夜漬けができる。
透明で爽やかでありながら、日光をあびた葉の独特の苦味もチクりと感じられる。
塩と溶けあった大根の至純ともいえる辛さのなかにある天然な甘味。
甘いと感じられる一夜漬けで、甘い白米を食べられるんだから日本人ってやつは、ほんとに不思議だよね。

話かわって、うちの祖父は、大根おろしが大好きで、汁ごと美味しそうにすすりつづけた結果、ひ孫に見守られながら九十三歳で大往生した。
その血を引き継いだ私も大根は大好きだ。
祖父の姿を見たからではなく、一冊の絵本を読んだことが大根好きになるキッカケだった。
タイトルは失念。
話の流れはおおよそこうだ、あけてもくれても大根を食べつづける大根好きの農民がいた。
鉄鍋を炭にかけ、大根と水を煮たのち、飾り気のない器に白い大根をとる。
そして、ほくほくと白い湯気をたてる大根に、茶色い味噌をたっぷりと大根にのせ、おおきな口をあけ、うまい、うまいと農民が、一心不乱に大根を食べている絵が、ほんとうに、ほんとうに。

絵本を読みおわったあと、私は母に大根を喰いたいと懇願したもんさ。
ほんとに、うまそうに大根を食べる絵だった。
美味いと思わされる絵に感化された私ではあるけども、どうも私は美味いものを美味そうに食べる才能にめぐまれなかったようで、ご飯を食べているときの表情は無表情だ、鉄仮面だといわれる。
美味しいものを美味しそうに食べるには、才能が必要だと開高健は書いていた。
まさに、その通りだと思いしらされた。

必殺仕事人シリーズだったかな。湯豆腐をやたらめったら美味そうに食べるシーンを覚えている。
土鍋に底が見えないほどの大きさの昆布だけをひき、そのうえに豆腐をいれ、これが一番だといいながら、もしかしたら長ネギを切っていれたかもしれない。
火傷を我慢しながら、熱々の豆腐を口いっぱいにほうばる演者さん。
その演者さんが湯豆腐を食べている姿と、大根を食べている農民の絵が重なって見えた。
ほんとに、料理を美味しそうに食べ、あげくの果てに料理を喰いたいと思わせるような演技ができる演者さん絵をかけるイラストレーターさんを尊敬する。

演者、イラストレーターときて、文章を読むことで、サムシングを食べたいと思わされたのが向田邦子がつづった文章だ。
それも大根つながりの壺漬けについて書かれていたエッセイを読み、はじめて聞く壺漬けなるものを食べてみたいと恋こがれたものだ。

そして、大根の水分がなくなり、尻尾と頭がくっつくように、物語はつながる。
冒頭に吊るしていた大根で壺漬けを作る。

向田邦子をうならせた漬物は、干した大根さえあれば簡単につくれる。
おいどんたちが食べていた壺漬けは、漬け汁を濃くすれば日持ちし、いろいろな料理との相性がよい。
そうそう、ぜったいに外せない調味料として酢、ビネガーは必須ですゾ。
酢がないと、しまらない、ぼやけた、壺の底がぬけたような味の壺漬けができる。

まずは、大根を漬けこむ汁を作る。
おいどん精神で、おもう存分にお好きな割合でどうぞ、と書きたいが、いちおう目安の割合を書いておく。

醤油:日本酒:みりん:酢を2:1:1:1/2の割合でいつも作っている。
醤油が200ccだと、日本酒とみりんは100cc、そして酢は50cc。
あとは唐辛子とたっぷりのカツオ節をいれるならいだが、なければないでかまわない。
鍋肌にちいさい泡がでるまで火にかける。
泡がでてから弱火にし3分ほど煮たのち火をとめる。あとは常温に冷めるまで待つ。
砂糖をいれるレシピもある。どうも砂糖をいれると、大根の風味が媚びるように弱くなるように感じられる。
お好みで砂糖や昆布なんかもいれてもらってもかまわない。

つぎに干した大根をお好みの大きさに切っておく。
長期保存されたいかたは、焼酎などで器具を消毒しておくとよい。
壺漬けは、一瞬でなくなる、といわれるひともいるが、そこまで刹那に消失しない、私の壺漬けは。

熱湯消毒して、焼酎をふきかけた器に切った大根をいれる。
伝統どおり、名前どおりに壺で漬ければいいのだろうけども、便利なものは使う派である。

あとは冷めた調味料をそそぎいれ、一日後から食べられる。

酢をきかせているので、たくあんよりも、壺漬けのほうがタルタルソースにはミートすると思っている。
また、自分で壺漬けをつくると、大根のハシッコを食べることができる。
ローストビーフのハシッコにこそ、美味があるといったのは、向田邦子だったか、檀一雄だったか、はたまた海外の作家だったかは忘れたが、大根のハシッコにこそ、地をうがつ魔味がある。
こりこりとした動物的の内臓のような食感、それでいて噛むと野菜の禅味がじわじわとしみでてくる

もちろん、壺漬けはお酒との相性も滅法界よいものです。

大根を干さずに、調味料につけてもいいのでは、と思われたかもいらっしゃるでしょう。
新鮮な大根から水分をあえてぬくと、奥ゆかしいような、わびたようなさびたような俳味がでてくる。
年齢をかさねることで、しぶくなる、いぶし銀になる。
若いときにはだせない、目元に刻みこまれたシワのような、陰翳ともいえる味わいの奥行きが大根にうまれる。

瞬間に消える、それほどに誇大なことはいえない。
けれども、いちにち、いちにち、確実に壺漬けのかさは、減りつづける。

壺漬けの減りかたを見て、いそいそとまた大根を吊るしにかかるのである。

冬の一コマといえる、大根吊りからの壺漬け作りは日課。

#冬の1コマ

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