湯河原は本当に良い町!なんだけど、、
湯河原に住み始めて、まもなく1年。
いつか飽きたり、別の場所に行きたくなったりするものなのかな〜と思っていたけど予想以上にそんなことはなく、未だにこの町が持つ「良さ」を感じながら生活できています。
でも、でもね。
うちのオーナーも同じ事を言っていた。本当にいい場所なんだけど、何かを積み上げるのには若干不向きだねって
ここにいる限り、朝早く起きるのは至難の業。仕事してても「まあもう今日はこれくらいでいいか」と諦めてしまう。そして町全体にそんな雰囲気がなんとなくある。
だからって東京とか人の多いところに住みたい訳でもないし、まだまだ湯河原で探求できることはある。心の声はこの町に傾いているのに、なんだかもどかしい。
そんな時思いました。
リラックスとアドレナリンは共存できないのか?
どっちも手に入れるのはそう簡単じゃなさそうだけど、どっちもあるのが一番。
程よくリラックス出来つつも、程よくアドレナリンを出して自分の出来ることを増やす。そんな場所が湯河原のみならず今の自分、引いては今を生きる人に求められているんじゃ無いかって
ちなみに僕はどっちかに偏るのが嫌だと思っています。なぜならストイックすぎるとついていけなくなりすぎてやる気喪失するし、ずっとリラックマみたいな生活するのも罪悪感満載だから
と思ってたら意外にも、去年や一昨年にそういう人や場所との出会いを介することがありました。そしてそれらは中々見つけられないからこそ、見つけた時の「これだ!」感は間違いなかったんですよね。
いつかは自分達が、、
そんな場所にこれからも携わっていたいし、仕事もしたいし、なんならいつか逆に自分がそういう場所を作る。そう思いました。
そのための修行期間としてもしかしたら湯河原を出ちゃうこともあるかもしれないけど、また戻ってきて
湯河原にある人の暖かさだったり、居心地の良さは現代人にとって間違いなく必要なもの。これが無いとどこかで人は壊れてしまうような気もする。だから個々に合わせたバックグラウンドを受容、理解できる場所は必須。
そこから成功体験を積んで、自分の活動内容に説得力を持たせることも大事。それで周囲が安心してお願いできるから、そんな良き循環が生まれるコミュニティってあってもいいですよね。
色んな意思が混在する今日で、どっちも両立させることってめちゃくちゃハードル高い。だからこそまずは自分が覚えているわざで目の前の人を喜ばせることに集中したいんです。
どんな小さいことだろうと愚直にやることで、次のステージに行けるものだから