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人の理解力はどこで差がつくのか。理解という構造についての仮説。

どうも。最近Youtubeのショート動画をひたすら見漁っている日々を過ごしておりますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。あけましておめでとうございます。

その中で、算数の中学入試問題を紹介しているショート動画がありまして、これがなかなか難しく、とはいえ、この動画の内容とコメントを見て、理解するという流れをなんとなく想像できたので、その備忘録代わりに今回は記事として残しておこうと思います。

どのような問題だったのか。

そのショート動画で紹介されたのは以下のような問題でした。

面積を求める問題

大きい正方形の真ん中に正方形が形成されるように図のような線を引き、それでできた真ん中の正方形の面積をもとめる、という問題です。

ちょっと考えれば解けそうだったのでいったん解いてみようとして結構悩み、答えを出しました。で、続きを見たところ、動画でのこの問題の解説では、「いろんな解き方があるが」としたうえで解法を一つ提示されておりました。簡単に言うと以下のような解き方です。


解法

上記のように補助線を引くと、できた水色の直角三角形の底辺が大きな正方形の一辺とと同じになるので、大きな正方形と水色の直角三角形4つとの面積は同じ。ゆえに、はみ出た小さな三角形4つは、その合計が小さな正方形の面積と同じなので、5㎝×5㎝÷2×4=50㎠が答え。

という感じでした。かなり端折りましたが大変美しい解法だということで紹介されていました。

このやり方は、自分が解いた方法と違っていましたので、興味深く拝見しましたが、「解法はいろいろ考えられる」とありましたので、ほかの解き方があるかもと思い、コメント欄をみたりなどしました。

いろいろなコメントがありまして、なるほどなーと思いながらコメントを眺めていると、やはり、コメント主のそれぞれの学力の差、算数に対する理解度の差が、それなりにあるなということを発見し、どうしてそういう差がでるのかと、考えるに至ったわけです。

コメントであったほかの解法

それに思い至ったコメントというのは、「ほかの解き方として、小さい正方形を縦横に線を入れて、交点から大きい正方形の頂点にまた線を引き、平行四辺形を作ると、分割した線が5㎝だとわかるので、4つ合計して50㎠」みたいな感じのいわば、例示された解法の逆をやったよ、というコメントだったのですが、その返信に「それって平行かどうかわからないよね」的なコメントがあり、なるほどなーと思ったわけです。

確かに、この記事を書いてるときも大丈夫なはずだけどと思い、いろいろ考えを巡らせたのですが、実は、中央にあるのは正方形であることと、それにつながっている線は45°ということが分かっているので、小さい正方形の対角線は大きい正方形の辺と平行ということがわかるため、解き方としては問題はないわけですが、そのあたりにコメント主の両者および自分自身について理解度の差があるように思い、ただ、誰かが優れている劣っているということでもなく、一方の理解が不足しているところをもう一方はしっかり理解している、という差があるにすぎないんだろうなという風に感じました。

理解度というパラメータ群の構造を考察

そこで、この両者のコメントの違いから理解度の差分を考えてみたときに、おおよその理解度というパラメータ群には以下のような要素があるのではないかと思いました。

  1. 持っている知識の量

  2. 持っている知識から新たな知見を類推する力

  3. 類推した知見の確からしさを確認する力

  4. 確かな知見をほかの分野に転用する力

持っている知識の量とは、教えられたことや調べたことや経験など既に知られている情報ををどれだけ多く持っているか、ということです。

持っている知識から新たな知見を類推する力とは、すでに知っている知識の中から新たな情報が得られないか、ということを考える力です。教えられたことを理解する力にも結びついています。一を聞いて十を知るということを地で行くような人はこの力が大変優れている、ということになります。

類推した知見の確からしさを確認する力とは、こうして得られた情報がはたして現実世界にどれくらい即しているか、ということを判断する力です。騙されやすい人はこの力が弱い、ということになります。

確かな知見をほかの分野に転用する力とは、一般的には応用力と言われるものですが、ひらめきやアイデア創出にも紐づいている力で、その情報を得られた分野の共通点をほかの分野でも見いだし、実際に適用することで知識を活用する場を広げていく能力です。

賢さとはなんだろうと仮説をたててみる

つまりは、「学校の成績は良いが、バカ」という人というのが時々いたり、「人の振り見て我が振り直せ」「人はみかけによらぬもの」ということわざがあったり、はたまたいろいろな精神疾患の遠因として、これらのパラメータに著しい偏りがあるのではないかという気がします。というか、これらのパラメータの違いが、性格や感情の違いの根底にあるのではないか、という可能性もあるんじゃないかなーと思ったりします。

で、そう考えたときに、’「これはIQなのか」とか、そもそも「これらの能力をIQテストだけで測れるのか」という疑問がでてそれについて考えたとき、100%もれなく測ることはどだい無理な話よな、と思いました。さらに言うと、特にその辺なにかが欠けてたとしても概ねの生活には影響ない気もして、でも、こういったパラメータがあるよねとしておくと、情報の整理や判断もそれなりに早くなるんじゃないかしら、などと考えたりもしつつで。

まぁ、そういうのを考えるのが好きなだけなんですけどねw

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おるのん
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