岸田総理暗殺未遂事件
やはり起こってしまいました。岸田総理の演説会場で爆弾を投げつけた事件から3日ほど経ちましたが、昨年7月の安倍晋三元総理暗殺事件の時とは少々異なり、大々的な報道はそれほど行われず、世間の様子を見ながら事件を報道する姿勢となっています。
そりゃそうでしょう。安倍総理暗殺時は犯人の全てを暴くかのように根掘り葉掘り調べ上げて報道した結果、犯人に同情した一部の人間から現金などの差し入れがバンバン送られ、起訴すらされていない状況で減刑を嘆願する署名が届けられました。まるで犯人を神格化するような行為でした。
確かに日本ではセンセーショナルな事件であり、犯人の動機が早々に発表されたこともあってマスメディアはそこ一色で報道していたように感じます。犯人を題材にした映画についての記事を載せた新聞をありましたが、こうした部分まで報道してしまったら犯人を英雄視する輩が出てくるのは当然でしょう。
しかし、あの事件はテロ行為であり、暗殺です。
どんな理由があっても決して許される行為ではありません。
だからこそ、犯人に悪名を渡すような真似は絶対にしてはいけないのです。
2019年3月にニュージーランドのクライストチャーチで銃乱射事件がありました。51人が死亡、49人が負傷というニュージーランド史上最悪の事件を受け、当時のジャシンダ・アーダーン首相は演説でこう述べました。
「男はこのテロ行為を通じて色々なことを手に入れようとした。そのひとつが、悪名だ。だからこそ、私は今後一切、この男の名前を口にしない。皆さんは、大勢の命を奪った男の名前ではなく、命を失った大勢の人たちの名前を語ってください。男はテロリストで、犯罪者で、過激派だ。私が言及するとき、あの男は無名のままで終わる」
確かに犯人の動機を生い立ちから調べ上げていけば、次の事件を防ぐ手がかりを掴むことができることもあるでしょう。旧統一教会問題のようなことが明るみになったことで法律による規制が強化され、同様の動機を持った犯人が現れることは少なくなるかもしれません。
ただその一方で、犯人の詳細を報道することによって同情を誘い、やむを得ない事情があった、だから許してやろう、むしろ良くやったといった感情を他者に与えるきっかけにもなります。安倍総理暗殺事件後の報道は、間違いなく今回の事件のきっかけ、温床になったとも感じます。
どちらも可能性の話なので、白黒はっきり付けられる問題ではないことは理解しますが、結果的にテロリストを礼賛するような行為のきっかけとなったことを鑑みると、やはり事件後のわずかな時間で卒業アルバムの写真や卒業文集の内容、当時の犯人を知る人間のコメントが報道される今の日本のマスメディアは異常だと思います。
昨今、東京都界隈の支援事業云々などでもそうですが、過激なデモで他者の自由を奪ったり、スラップ訴訟をチラつかせたり、あるいは自己の感情に基づいた主張を大々的にSNS等で発したりすることは、テロ行為と同じく、力による脅迫と同じではないでしょうか。
筋の通った方策により、目的を達するよう努力することが大切だと個人的には思います。それが遠い道のりだとしても、です。