孤独と牛ごぼうしぐれ煮
「孤独は活力」
大好きな祖母が残した言葉だ。
私はずっと孤独と向き合っている気がしている。
物理的には、家族がいるのだけど、何というかそういう事ではなくて
物心ついた時から、常に孤独を感じていた。
そして、何とかその孤独から解放されたくて、仕事に打ち込んでみたり
友人と食事をしたり、趣味を作ってみたりもするけれども
やはりその漠然とした孤独は、ついてまわった。
祖母は晩年、一人暮らしをしていた。
年老いてからの一人暮らしは、さぞかし孤独だろうと周囲は心配して
同居を申し出たが、祖母は
「この自由を手放してたまるか」
と、頑なに拒否し続けた。
恐らく、祖母にとっては長い人生で初めての一人暮らしだったのだ。
戦争も経験して、結婚してからは子育てをしながら、夫の面倒を甲斐甲斐しく見ていた。
83歳で祖父が他界してから、初めて祖母は一人の時間を得たのだ。
他人から見たらそれは「孤独」に映ったかもしれない。
でも、祖母にとっては「自由」だった。
あの時代の女性たちは本当に、辛抱強い。戦争を経験していたからなのか、多少のことは取るに足らないといった覚悟のようなものがある。
祖母も例外ではなく、とても仲のいい夫婦だったが、夫には風呂上がりの下着や靴下まで用意してあげる尽くし方だった。
それはきっと、その時代の女性像がそうさせていたのだと思うが、孫である私たちは違和感を覚え、
「靴下くらいじいちゃん、自分で出しなさい!」
と注意したりもした。
それゆえ、祖母にとって初めての孤独は「活力」だったのだろう。
今の私には到底及ばない考え方だ。
私にとって孤独とは、不安でしかない。
将来自分が母や祖母のように一人になったら、生きていけるだろうかとすら思う。
4年前に、私の父が他界して、母も人生初の一人暮らしをしている。
私はそんな母の孤独を思うと、いつも心配で仕方なく、なんとか母を孤独から救いたい一心で、同居を申し出た。
しかし母は、それを断った。
意外だった。
さみしがり屋の母は、藁にも縋る思いだと勝手に思い込んでいたので
同居話は、二つ返事で喜ぶと思っていたのだ。
人は物理的に孤独になると、逆に孤独を感じなくなるのだろうか?
私と母と祖母はそっくりだ。
もしかしたら私も、独りになった時に初めて
孤独から解放されるのかもしれない。。。
そんなことを思いながら、祖母から教わった牛ごぼうしぐれ煮を作った。
甘辛い牛の旨味がごぼうに染み込んで、何とも懐かしい味だ。
祖母のような芯のある女性になれそうな自信が、少しだけ湧いてきた。