笑いの芸術家、白塗りの向こうに潜む哲学
こんにちは、芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属 パントマイムアーティスト、織辺真智子です。
これまで、古代ギリシャから中世初期にかけての西洋文化史において、パントマイム、舞踊、劇場の発展を追ってきました。お読みいただいた皆様は、きっと現代のエンターテインメントにも通じる数々の要素を発見してくださったのではと思います。
そんな中、避けては通れない、むしろ是非とも紹介したい分野があります。
そうです。クラウン(道化師)です。
(厳密には違うものではありますが)ピエロさんと言った方がわかりやすいでしょうか・・・また、「クラウンってパントマイムじゃないの?」そんな疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか。確かに重なる部分もありますが、それぞれに独自の魅力と特徴があるのですよ。
さあ、赤い鼻の向こうに広がる不思議な世界へ、一緒に踏み出してみましょう。
それでは、クラウンの魅惑的な世界へ、ようこそ!
赤い鼻とカラフルな衣装の向こう側
クラウンは、一見するとただ白く塗っているお調子者に見えるかもしれません。また、今はハロウィンなどのコスプレやお面などもあり、一般の方も手軽にクラウンの格好ができる時代となりました。
しかし、そもそもその実態は高度に訓練された芸術家。クラウンは専門的なテクニックがあり、経験豊富な先輩クラウンの下で長期間の修行を積んでいる場合が多いのです。
クラウンの技術は幅広いものです。まず、体全体を使って感情や状況を表現する能力があります。言葉を使わずに物語を伝えることもできるほどです。この中には、アクロバットやジャグリング、無言劇なども含まれます。
次に大切なのが、絶妙なタイミング感覚です。いつジョークを言うか、いつ動きを止めるか、いつ観客の反応を待つかを瞬時に判断します。この「間」の取り方で、パフォーマンスの成功が決まるのです。
また、観客とのやりとりも重要です。観客の反応を見て、即興で演技を変えたり、観客を舞台に巻き込んだりします。この柔軟性こそがクラウンの芸術性の核心です。
クラウンの演技には「失敗」や「間違い」がよく含まれます。でも、これらは実は計画的な「演出された失敗」なのです。この「失敗」で観客の共感を得て、笑いを生み出すのです。
このように、クラウンは単に「おかしなことをする人」ではありません。彼らは身体性、タイミング、即興性、観客とのインタラクティビティなど、様々な要素を高度に操る「笑いの魔術師」なのです。その技術は、長年の訓練と経験によって磨き上げられた、真の意味での「芸術」といえるでしょう。
多彩な顔を持つエンターテイナー
クラウンの世界は、実に多様性に富んでいます。それぞれのクラウンが独自のキャラクターや演技スタイルを持ち、活動の場も多岐にわたります。ここでは、クラシックなスタイルについて、より詳しく見ていきましょう。
まず、サーカスクラウンは、おそらく最も一般的に知られているクラウンのスタイルでしょう。彼らは大きな靴、カラフルな衣装、誇張されたメイクアップが特徴です。サーカスクラウンはさらにいくつかのタイプに分けられます。
最も一般的なのがオーガスト・クラウンで、赤い鼻、大きな靴、だぼだぼの服が特徴です。愚かで不器用なキャラクターを演じることが多いです。
ホワイトフェイス・クラウンは、白塗りの顔に精巧なメイクアップが特徴で、より洗練された、時にはエレガントな雰囲気を持ちます。
そして、キャラクター・クラウンは、特定のキャラクター(例えば浮浪者や警官など)を演じるクラウンです。サーカスクラウンのパフォーマンスは、アクロバット、ジャグリング、動物との関わりなど、多岐にわたります。彼らは観客を笑わせると同時に、驚きと感動も提供します。
マイムクラウンは、言葉を使わずに演技を行います。彼らは身体の動きと表情のみで、複雑な状況や感情を表現します。多くの場合顔全体を白く塗り、目と口の周りを強調することです。また、動きを強調するため、通常はシンプルな衣装を着用します。彼らは微細な動きや表情の変化で、様々な状況や感情を表現します。そのパフォーマンスはしばしば詩的で哲学的な要素を含みます。彼らは無言で人生の真理や人間の条件について語りかけるのです。
病院で活動するクラウンのことをホスピタルクラウンと言います。普段いろいろな活動をする中で一つの活動として行っていらっしゃる方も多いようです。
彼らの主な目的は、入院中の患者、特に子供たちに笑いと喜びをもたらすことです。患者の状態に合わせて適切なパフォーマンスを提供する高い共感性を持ち、基本的な医療知識を持って医療スタッフと協力して活動します。ホスピタルクラウンの活動は、単なる娯楽を超えて、療養環境の改善や患者の精神的サポート、社会包摂という重要な役割を果たしています。
日本には、NPOホスピタルクラウン協会というのがあり、長期入院などでなかなかエンターテイメントを気軽に見に行けない方々に活動を行っています。
こ今は進化して、日本のクラウンも世界中のクラウンもカテゴライズできないようなアーティストがたくさんいらっしゃいます。それぞれの活動領域や個性に応じて、独自のキャラクターと演技スタイルを発展させています。この多様性こそが、クラウン芸術の豊かさを示すものといえるでしょう。
笑いの裏に隠された哲学
クラウンの演技は、一見すると単純な笑いや滑稽さを提供しているように見えるかもしれません。しかし、その裏には深い哲学と人生観が隠されています。クラウンの芸術は、実は人間の本質や社会の矛盾を鋭く突いた、一種の「笑いを通じた哲学」なのです。
まず、クラウンの演技で最も重要な要素の一つが「失敗」です。クラウンは常に失敗し、躓き、間違いを犯します。しかし、彼らは決してそれに屈することなく、むしろその失敗を笑いに変える術を心得ています。「失敗の美学」は、実は人生における重要な教訓を含んでいます。私たちは日常生活で失敗を恐れ、完璧を求めがちです。しかし、クラウンは失敗こそが人間らしさであり、そこから新たな可能性が生まれることを教えてくれるのです。
次に、クラウンは社会批評の役割も果たしています。彼らは、しばしば社会の常識や権威に対して挑戦的な態度を取ります。彼らの「愚かな」振る舞いは、実は私たちの固定観念や社会のルールの不条理さを浮き彫りにする効果があるのです。例えば、チャーリー・チャップリンの名作「モダン・タイムス」では、主人公のリトル・トランプ(一種のクラウンキャラクター)が工場の機械に飲み込まれていく場面があります。この滑稽な場面は、実は産業化社会における人間の疎外を鋭く批判しているのです。このように、クラウンは「笑い」という武器を使って、社会の問題点や矛盾を指摘します。彼らの演技は、観客に新しい視点を提供し、社会や自分自身を見つめ直す機会を与えてくれるのです。
さらに、クラウンの演技は「今、ここ」の哲学を体現しています。彼らは過去や未来を気にすることなく、目の前の状況に全身全霊で反応します。この姿勢は、実は深い哲学的意味を持っています。東洋の禅思想や現代のマインドフルネスと通じるこの「今、ここ」の哲学は、現代社会において特に重要な意味を持ちます。常に過去を悔やみ、未来を不安に思う現代人に対して、クラウンは「今この瞬間」を全力で生きることの大切さを教えてくれるのです。
クラウンの演技はまた、共感と連帯の力を引き出します。観客の笑いを誘うだけでなく、深い共感も呼び起こすのです。クラウンの失敗や困難に直面する姿に、観客は自分自身を重ね合わせます。そして、その共感を通じて、観客同士も一体感を感じることができます。クラウンの演技は、見知らぬ人々の間に一時的ではあっても強い連帯感を生み出す力を持っているのです。この経験は、個人主義が進み、人々の間の繋がりが希薄になりがちな現代社会において、特に重要な意味を持っています。クラウンは、人々が再びつながり、共に笑い、共に感じることの喜びを思い出させてくれるのです。
最後に、クラウンの演技は私たちの中にある「内なる子供」に呼びかけます。大人になるにつれて忘れがちな、好奇心、遊び心、想像力を呼び覚ますのです。この「内なる子供」との再会は、単なる懐古や退行ではありません。それは、私たちの創造性や柔軟性を取り戻し、人生をより豊かに生きるための重要な契機となりうるのです。
クラウンの哲学は、このように深く、そして多面的です。彼らは笑いを通じて、人生の真理や社会の矛盾、そして私たち自身の内なる可能性について語りかけています。クラウンの演技を通じて、私たちは単に楽しむだけでなく、自分自身や社会について深く考えるきっかけを得ることができるのです。
さあ、では次は
「パントマイムとクラウンって違うの?」
「お笑い芸人とクラウンってどう違うの?」
という疑問について、考察していきたいと思います。お楽しみに。