
古代ローマを席巻したパントマイムの壮大なる物語
こんにちは。芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属、パントマイムアーティストの織辺真智子です。
いまの日本では、パントマイムというと静かで控えめな芸術を想像するかもしれません。しかし、紀元後1世紀の古代ローマ帝国では、パントマイムは驚くべき人気を誇る大衆エンターテインメントでした。
巨大な円形劇場コロッセウムに一歩足を踏み入れると、そこには熱狂的な観客の歓声が轟いています。舞台上では衣装をまとった役者が、まるで風に揺れる柳のように優雅に、そして時に激しく身体を動かしています。彼らは一言も発することなく、表情豊かな身振りだけで、愛と裏切り、戦いと勝利という壮大な物語を紡ぎ出していくのです。
パントマイムが最新の大衆芸能だった時代
セネカやプラウトゥスといった文学的な劇作家の時代が終わりを告げると、古代ローマの演劇は大きな転換期を迎えました。新たに建設された大理石の劇場では、パントマイムという新しい大衆芸能が花開いたのです。これは単なる娯楽の変化ではありません。ローマ帝国の拡大、社会構造の変化、そして人々の価値観の変容を如実に反映していたのです。
パントマイムは紀元前1世紀末から紀元後6世紀末まで、約700年もの長きにわたり、古代ローマの舞台で最も人気のある芸能の一つでした。
繊細なジェスチャー、流麗な身体の動き、抑揚のある語り、情感豊かな歌、そして心を揺さぶる音楽が絶妙に組み合わされた総合芸術と呼ぶにふさわしいパフォーマンスは、今日私たちが想像するパントマイムの姿よりはだいぶ大掛かりなものだったと思われます。
無言の魔法使いたちが織りなす舞台
パントマイムの最大の魅力は、その独特の表現方法にありました。舞台上では、20人ほどの訓練された合唱隊が、リラ(古代ギリシャの弦楽器)やアウロス(古代の管楽器)の伴奏に合わせて物語を歌い上げます。その中心で、一人の主役俳優が無言で踊ります。彼らは驚くべき技巧で次々と仮面を付け替え、まるで魔法のように男性から女性へ、神から人間へと、瞬時に様々な登場人物を演じ分けました。
通常、「ファブラ・サルティカ」と呼ばれる悲劇的な台本に基づいて上演されましたが、時には喜劇的な要素も取り入れられました。主役のダンサーは一切言葉を発することなく、ただ踊ることで、主に神話や歴史上の有名なエピソードを表現しました。大規模なオーケストラが伴奏を担当し、リズムは「スカベラム」という、足に取り付けられた特殊な打楽器で刻まれました。この独特の響きが、パントマイムの神秘的な雰囲気を一層引き立てたのです。
まるで昼ドラ・・!?物語の宝庫
パントマイムの演目は、当時の人々に馴染み深い物語から選ばれ、有名な叙事詩や神話がよく取り上げられました。冒険譚や、神と人間の悲劇的な恋の物語や、夫婦の愛の物語など、人間ドラマは現代の私たちにとっても普遍的なテーマであるように、古代ローマ帝国の庶民にも大人気でした。
これらの物語は、観客にとって馴染み深いものでありながら、パントマイムの技巧によって新たな解釈や感動を与えることができました。時には悲喜劇的なドラマとなることもありましたが、バーレスク的な要素が含まれていることも多かったようです。女性パフォーマーも参加し、対話、アクロバット、歌、ドタバタ喜劇的な要素が絶妙に組み合わされ、観客を魅了しました。
社会を映す鏡
パントマイムの人気は、単なる娯楽の域を超えていました。パントマイムのダンサーたちは、まるで現代のスーパースターのように崇拝される一方で、その奔放な生活ぶりから軽蔑の対象にもなるという、矛盾した存在でした。彼らは同時代の人々の想像力を刺激し、時には既存の文化的・社会的な枠組みを揺るがすほどの影響力を持っていました。
例えば、有名なパントマイムダンサーのムネステルは、皇帝カリグラの寵愛を受け、政治的な影響力さえ持っていたと言われています。カリグラは彼のパフォーマンスに夢中になり、しばしば政務そっちのけで劇場に通い詰めたという逸話も残っています。
また、パントマイムの公演が原因で、観客同士の争いが暴動にまで発展することもありました。これは、現代のスポーツファンの熱狂ぶりを彷彿とさせます。特に、ライバル関係にあるダンサーのファン同士の衝突は激しく、時には都市全体が混乱に陥ることもありました。
道具にされるパントマイム
しかし、この絶大な人気は諸刃の剣となりました。ネロやドミティアヌス帝の時代にキリスト教徒への迫害が始まると、パントマイムはその道具として利用されるようになったのです。『ケントゥンクルス』という演目では、道化師がキリスト教徒に扮して洗礼を受け、最後には残酷な方法で十字架にかけられ処刑される、という、現代では到底許容されない過激な内容が上演されたりもしていたそうです。また、時には性行為まであったという記録も残っているそうです。
さようなら、パントマイムの黄金時代、そして歴史は続く
さて、4世紀にキリスト教が国教となると、状況は一変しました。かつては皇帝にも愛された演劇は、今や堕落の象徴とみなされるようになりました。
教父アウグスティヌスは、パントマイムを「悪魔の発明品」と非難しました。彼は、パントマイムが人々の道徳心を腐敗させ、キリスト教の教えに反すると主張しました。
5世紀には多くの俳優が破門され、パントマイムアーティストたちは散り散りになりました。6世紀に入ると遂に劇場そのものが閉鎖に追い込まれ、かつて華やかだった劇場は、廃墟と化していきました。
しかし、芸術の灯は完全には消えませんでした。
ローマ帝国が東西に分裂した後、人々の表現欲求は宗教的な祭りや儀式という新たな形を見出しました。特に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルでは、かつての演劇の要素を取り入れた壮麗な儀式が発展しました。皇帝の即位式や宗教行事では、パントマイムを思わせる優雅な所作や象徴的な動きが取り入れられたのです。
古代ローマのパントマイムは、その本来の姿を失って衰退しましたが、その豊かな遺産は完全に失われることはありませんでした。公の場から締め出された演者たちは、道化師や旅芸人、さらには宮廷の道化として密かにその技を受け継ぎました。この話はまた違う章で説明してまいります。
次の章では、古代ローマ帝国の終焉後のエンターテイメントについて、ご紹介させていただきます。時代は中世初期に進んでいきます。お楽しみに!!