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笑いの背後に隠された物語(クラウンの起源〜中世初期までの歴史)

こんにちは、芸能事務所トゥインクル・コーポレーション所属 パントマイムアーティストの織辺真智子です。

ここ2回、クラウンの定義やパントマイム・お笑いとの違いについてご紹介してきました。
本稿では、今までパントマイムや舞踊の中世初期までの歴史の流れを追ってきたように、クラウンの起源〜13世紀までの発展をご説明します。

古代エジプトの道化たち

クラウンの起源を考える際、まず古代エジプトに目を向ける必要があります。紀元前2500年頃、エジプトの宮廷にはピグミー族の小人が道化として仕えていました。彼らは単なるエンターテイナーに留まらず、神聖な儀式においても重要な役割を果たしていました。壁画や彫刻には、踊ったり楽器を演奏したりする姿が描かれており、彼らの存在は宗教と楽しみの両方を融合させたものでした。この神聖さと滑稽さの共存は、後のクラウンの特徴にも通じる重要な要素となります。

そして紀元前6世紀頃、これは古代ギリシャ時代ですね。ギリシャでは酒神ディオニュソスを祀る祭り「コモス」が行われていました。
この祭りでは、参加者たちが仮面をかぶり、陽気に歌い踊る姿が見られました。彼らは日常の束縛から解放され、社会の規範を一時的に逸脱することが許されていたのです。この「逸脱の許容」は、後のクラウンの特性に大きな影響を与えました。

古代ローマに目を転じると、紀元前3世紀頃から「ミムス」と呼ばれる喜劇俳優たちが活躍していました。彼らは滑稽な物まねや即興的な演技を得意とし、時には過激な風刺劇を演じました。また、古代ローマの祭り「サトゥルナリア」では、奴隷と主人の立場が逆転し、社会秩序が一時的に崩壊する様子が見られました。こうした祭りの精神は、後の中世の道化文化にも影響を与えました。

あれ、どっかで読んだような歴史・・・
今まで読んできた方々の中には「その頃パントマイムと道化は一緒だったの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

古代ギリシャ・ローマ時代のパントマイムと道化は、いくつかの共通点を持ちながら、異なる演技形態だったようです。
当時のパントマイムは主に一人がいろんな役を演じ、言葉を一切使わず、身体の動きだけで一つの世界を創り出すこの芸術は、観客の心を揺さぶることを目的としていました。
一方、道化(ミムス)は古代ローマにおいて、歌や舞踊、曲芸を取り入れた娯楽的なパフォーマンスを行うキャラクターです。道化はしばしば滑稽さや風刺を用いて、観客を楽しませる役割を担っていました。この演技形態は多様性に富み、身体的なコメディや即興性が強調されることで、観客とのインタラクションを生み出します。

両者の共通点としては、身体表現の重視と、言葉に依存しない表現形式が挙げられます。また、観客との感情的なつながりを大切にし、視覚的な要素が強い点も共通しています。古代ギリシャ・ローマ時代のパントマイムと道化は、それぞれ異なる特徴を持ちながらも、身体表現という共通の基盤を持つ魅力的な芸術形式であったようです。

キリスト教の影響と道化の変容

さて、ローマ帝国の衰退とともに、キリスト教が台頭してきます。初期のキリスト教会は、異教的な祭りや道化芸を禁止しようとしましたが、民衆の間に根付いていた笑いの文化を完全に排除することはできませんでした。代わりに、教会は徐々に道化の要素を取り込み、宗教的な文脈で再解釈していきました。

例えば、「愚者の祭り」と呼ばれる行事では、教会の階級秩序が逆転し、下級聖職者が主役となって滑稽な儀式を行いました。これは、古代の祭りの精神をキリスト教的な文脈の中で継承したものといえるでしょう。

宮廷道化の登場とその役割

8世紀頃から、ヨーロッパの宮廷では「宮廷道化」が登場し始めます。彼らは王や貴族のお気に入りとなり、単なるエンターテイナー以上の存在として認められるようになりました。宮廷道化は、その特権的な立場を利用して、時には鋭い社会批評を行うこともありました。たとえば、シャルルマーニュ大帝の宮廷には「ノトケル」という名の道化がいました。彼は知的で機知に富んだ人物で、皇帝に対しても遠慮なく意見を述べることができたとされています。

11世紀から13世紀にかけて、道化師の社会的地位が徐々に確立されていきます。この時期、多くのヨーロッパの宮廷で道化師が正式な役職として認められるようになりました。彼らは「王の道化」として、単なるエンターテイナー以上の役割を果たすようになります。

たとえば、イングランド王ヘンリー1世の宮廷には「レーニュルフ」という道化がいました。彼は王の信頼を得て、外交使節として他国に派遣されることもあったと言われています。こうした道化師は時に政治的な役割も果たすようになり、社会におけるその重要性が増していきました。

道化師の特権と社会批評

道化師たちは、その特権的な立場を利用して、社会や権力者に対する批評を行うことができました。「愚者」を演じることで、通常では口にできないような真実を語ることができたのです。フランスの詩人エウスタッシュ・デシャンは、14世紀末に「道化は王の前で真実を語ることができる。なぜなら、彼の言葉は狂気からくるものとして受け取られるからだ」と述べています。この言葉は、当時の道化師の特殊な立場をよく表しています。

14世紀〜賢明な狂人

14世紀から15世紀にかけて、道化師のイメージはさらに洗練されていきます。彼らは「賢い愚者」あるいは「賢明な狂人」として認識されるようになり、文学作品にもその姿が描かれました。セバスティアン・ブラントの『阿呆船』には、鋭い洞察力を持つ「愚者」が登場し、人々の道化に対する認識の変化を反映しています。

クラウンの歴史は、人間社会における笑いの重要性と、その多面的な機能を物語っています。エンターテイナーであると同時に、社会の鏡でもあるクラウンは、私たちに笑いとともに、自己と社会を見つめ直す機会を与えてくれます。この長い歴史を持つクラウンの文化は、今後も進化を続けることでしょう。しかし、その核心にある「笑いを通じて真実を語る」という精神は、変わることがないと考えられます。

ここまでで、3回にわたって書いてきたクラウンについては一旦一区切り。
長かった中世初期を脱出して、次回は次の時代の歴史を紐解いてみましょうか・・・の前に、ちょっと脱線して、クラウン怖い、の話だけちょっとさせてください。
お楽しみに!

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