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前は何だった?

 建物が新しく建つと前は何だったか思い出せないと書いてあったのは、向田邦子さんのエッセイだったと思う。本当にそうだ。近所でも、いつもの職場への道でも、あの店はあの通りのどの辺だった?と聞かれるとはっきり答えられない私だ。実際に入ったことがない建物だったりすると、建物がなくなっても、突然新しい店ができても、元々そこが何だったか全く記憶にないのだ。誰かが「確かそこは〜」と言い出すと、すぐ信用してしまう。いま読んでいる本には、自分の記憶はあてにならないと書いてあって、興味深く読んでいる。
 10年以上前に聞いた話だ。ある人が昔、バイクの前にビデオカメラを付けて走ったことがあった。そのカメラの映像を見ると、住んでいる周辺が今とは全然違う景色で驚いたと話しているのを聞いたのだった。カメラの映像なのだから、事実が写っている。記憶とは違っている部分がいくつかあったのだろう。
 私は生まれ育ったまちから出たことはない。大きく町並みは変わっていないが、ずっと一緒のままではないのは分かる。いつ変わったかは、考えなくなった。住んでいる場所も、人が変わるように変化していくのだ。分かってはいるけれど、突然現れた店を見ると元が何だったのか思い出そうとしてしまう。

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