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40回書いたnote - 結局何を書きたいのか

3年前から本を書く準備を始め1年かけて書き、1年前に本を出し、去年はブックマンションの棚主になり、文学フリマに出たり、少しずつローカルな文学賞に応募したりと、少しずつ本のことや書くことに時間を費やすようになっている。これまで何度も書き始めて挫折したnoteを、今年に入ってまた書き始め、昨日の投稿で40回目でしたよ、とnoteからお知らせをもらった。
今回は書き続けられる気がしていた。

記事を書き始めたけど投稿が0時を回ってしまい、毎日連続投稿ではなくなっていることに気づいたのが20本くらい書いて公開した頃で、毎日ひとつ書こうと思っていたのに、あれ?とアホな状況になっているが、毎日「noteにむかっている」ことは事実なので私の中ではよくやっていると自分で自分を褒めている。

何度も挫折したnoteは、結局何を書きたかったのかが定まっていなかったのは明らかで、でも実は今も何を書きたいのかが定まっているわけではない。プロフィールには、自分の記憶や自分に起こった出来事を拾ってそのことについて書くとかなんとか記載しているけれど、それは、表面的な「何を書く」のかに過ぎず、本当に書きたいのは何か、違う言い方をすれば、私が書く意味は何か、というところまではまだ踏み込めていない。

昔、絵を習っていた時に気が付いたのだけれど、何を書きたいのかは描いてみなければ分からないということ。描き始めて筆が進んでいくにつれて、キャンバスの上に現れるものを見て初めて、これが自分が描きたい絵なのかと悟る感覚を経験してしまった。きっと、文章を書くことも同じだと思う。だからとりあえずは、一日一記事を書いて投稿しようと思った。私が書く意味を知るために。

誰かに読まれたらもちろん嬉しいし、読まれなくても、私は何が書きたいのかを知りたいから書き続ける。40本の投稿をして、あれ、私が書きたいことはこれなのかな、と頭をかすめていく思いが出始めている。気のせいなのかもしれないし、それではないのかもしれない。とにかく書く。私の中のまだ見ぬ思いに触れるまで。



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