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エッセイ#61 「虫歯」

「うわっ、最悪」

ついにこの時が来たのか。と言わんばかりに、息子の口の中を見ながら奥さんが言った。続けて、ため息混じりの声で私に話す。

「ちゃんと丁寧に奥歯まで磨いてた?」
「どうしたの?」
「どうしたのじゃなくて、これ見て」

下の娘は奥さんが歯磨きをしていて、私は息子を担当している。

息子の口をこじ開けたまま、下の歯の一番奥を覗き込んだ。
するとそこには、歯茎の境目にうっすらと茶色い物体が見えていた。

「これってもしかして?」
「当たり前じゃん。虫歯よ」
「ステインやない?茶渋とか」
「茶渋な訳ないやん。おじさんじゃないんだから」

そう言われたので、私は息子の戦隊モノが描かれた青いブラシを手に取り磨いてみた。

(全然変わりませーーーん)

その全然変わりませーーーんという、白々しくとぼけた私の顔を見て、更に奥さんは機嫌を損ねた。

「と言うか、あの時からもう諦めていたけどね」

そう吐き捨てながら、意地悪に息子の鼻先を摘まんだ。

あの時・・・

 娘がまだお腹の中にいた頃、息子の顔を見せに奥さんと三人で実家に帰省した。丁度、季節も今くらいでコタツを囲んで皆でワイワイと鍋を食べていた時の事。
息子の歯も段々と生え揃ってきて、食べ物も流動食から皆とさほど変わらない物を食べるようになった。

「まだ熱いから、フーフーするね」

実家の母は、鍋からよそった鶏肉の熱をお箸で挟んでフーフーと冷ましていた。

(フーフー・・・)

私はその仲睦まじい風景を隣で眺めながら、「幸せだ」とのんきな感慨にふけていた。しかし、その先にある物を見た。

母が手に持った箸の先には、奥さんが「リアルばいきんマン」でも見るかのような何とも言えない形相をしながら口元が動いている。

「ダメダメダメ」

誰にも気づかれていないと思っただろう。しかし!私はその時の奥さんの顔を忘れない。

奥さんは、ジョジョの奇妙な冒険に登場するスタープラチナを彷彿させる勢いで、「ダメ」を連呼した。

それでも、そんな事はお構いなし実家の母。

たまにしか会えない可愛い孫に向かって、満面の笑みで鶏肉を与えた。

・・・そう。それは、母が舐った箸だったのだ。

無駄無駄無駄無駄ァーーーーーーーーーー。

実家の母が繰り出すスタンドにボコボコになりながらも、ファイティングポーズだけは崩さなかった奥さんを讃えたい。そのまま真っ白になり、その日は自宅に帰るまで終始無口だった。

息子の歯が生え始めて数か月。ネットで一生懸命に調べていた「虫歯菌」というワード。そして、これから5歳まで虫歯菌を入れないゾ!という目標を立てていたのも束の間。

こうやって数年後。伏線を回収するかのように息子が虫歯になって、その時の事を思い出した。

過ぎた事は仕方のない事。私が責任感を持って、念入りに息子の歯磨きをするしかない。

そう胸に誓って、お前だけはそうなるな。とソファーに座って千歳飴をベロベロと舐めている娘を見つめながら、青い歯ブラシを力強く握った。

ーーーおわり



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