人生の片手間に〜エッセイガッサイ⑪最近のAIについて想う事
どうも、シンスケです!
昨今では『siri』や『Chat Gpt』などのAIによる技術の進歩が目まぐるしいですね。
それに伴い最近「Chat Gptに聞いてみた」といった同じような記事をよく目にします。
その度に、昔の思い出が蘇ります・・・
あれは中学生の頃です
皆さんはこれを覚えていますでしょうか?
1999年に発売されたポケットステーションという初代プレイステーションのメモリーカード型の携帯ゲーム機です。
このゲームに『どこでもいっしょ』というソフトがあり、何といっても画期的だったのが『キャラクターに言葉を覚えさせる』という機能でした。
当時、思春期真っ只中だった私は、その機能をまるで猿がスマホを操るかの如くそのキャラクターに下ネタのみを覚えさせていました。そして覚えさせた下ネタを連呼するキャラクターをみて友達とゲラゲラと笑っていました。
周りの賢い子達は、FF7のミニゲームを入れて効率よく楽しんでいる中で、私達は必死に覚えたての下ネタをそのポケットステーションにアウトプットしていたのでした(笑)
「いい鉄砲は打ち手を選ぶ」
「馬鹿と鋏は使いよう」
「蹴る馬も乗り手次第」
「人と入れ物は有り合わせ」
いつの時代にもそれに似合った言葉が有るのですね・・・
話は現在に戻り
最近だと(『Chat Gpt』に聞いてみた)などの記事をよく目にしますが、文字をそのままコピペしたような文章で何の面白みもありません。
やはり、時間は掛かりますが何度も推敲を重ねて創作された文章の方が、たとえ稚拙だとしても人間らしく文章に暖かみが感じられます。
いくら技術が進歩しようとも、機械が人間に「俺のこと上手く扱えるかな?」と問いただしているような気がしてなりません。
人間はどうしても「欲」が出てしまう生き物です。「あれが欲しい。これも欲しい」など、私利私欲の為なら、倫理観をも見失って過ちを犯します。
倫理観が無くなれば、たちまち人間は機械に支配されてしまいます。
そうならない為にも、考える事を怠っては駄目なのです!
ましてやAIに「共に共存するにはどうしたらいい?」と質問する【真理の扉】を開くような行いをした瞬間、通行料として知恵を失うのではないのでしょうか?
本日もご一読ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?