フィクションの力

最近知り合ったフェミニストの一人が、映画『ラストマイル』を観て、自分は面白かったが、「社会派」のテーマに抵抗を覚える人もいるのではと思ったと話していた。

私も劇場で観て、新自由主義の資本主義社会で生きていて、「便利」がどうつくられ、どんな論理の元で動き続けているのかを問題提起する作品だなと感じた。逃れられないというか、その中でどう抵抗したり、利用されないようにしないとなーとも思った。(『アンナチュラル』と『MIU404』も観ていたので、その繋がりも楽しんだ)

『虎に翼』とか『言霊の幸う国で』とか、フィクションの力も部分的に使って、今まで取るに足らないとか、ないことにされて見過ごされてきたものを、ないことにしない作品を目にする機会が続いた。
読み手にとって、少なくとも私にとって、ないことにされない対象が増える描かれ方はとてもエンパワリングだった。

一方で、著者など制作に関わる人たちが、SNSで絡まれる(というと軽い感じがしてしまうけれど、全くそんなことはなく)、そして炎上に巻き込まれることも頻発している。

最近参加したワークショップで、「その人がその時にできることをやる」と主催者の人が話していた。こういう作品が必要で、それで救われる人がいることを社会に示していかないといけない。観る、読む、買う、借りる、薦める、調べる、話すなどいろいろできることがある。

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