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「レスリー・ゴーア - It’s My Party(前編)」

☆こちらは、2022年2月16日に配信された、「オールディーズライブハウス がモット楽しくなる話」メルマガの掲載です☆

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☆今日のイントロ☆

僕は若いころから、
「いつもニヤニヤにしていて、お前の人生には悩みや困難が全くなさそうだね。」
というようなことを、良い意味でも悪い意味でも言われることがあります。

世の中には僕が想像できないような大きな困難を経験されている方が沢山いるでしょうから、
僕が経験した程度のことは困難とは言えないのかもしれませんが、実は僕なりに困難だと思う経験が少しだけあるんですよね。

それは僕の娘が3歳の時に嫁が癌で他界してしまい、シングルファーザーとして娘と2人で生活してきたことです。

昨日は、その娘が14歳になる誕生日でした。
反抗期などもあり、僕をまだまだ悩ませてくれることはありますが、元気に育ってくれていることを何より嬉しく思います。

そして娘が無事に育ってくれているのは、娘や僕と仲良くしてくれる全ての方々のおかげだと心から感じています。
改めて、そのことに感謝すると同時に幸せをかみしめる日にもなりました。
あっ、家族の一員であるワンコにも感謝ですね。(笑)

これからも、その気持ちを忘れずに何事も頑張って行こうと思います。

それでは本日のテーマといきましょう!



☆本日のテーマ☆
「レスリー・ゴーア - It’s My Party(前編)」

先週の配信日が丁度、「ビル・ヘイリー」の命日だったので彼のテーマを命日の当日にお届けしましたよね。

実は今日の配信日も「It’s My Party」で知られる「レスリー・ゴーア」が天国に旅立った日と重なっています。
今から7年前の2015年で、彼女が68歳の時でした。

ということで、今回は「レスリー・ゴーア - It’s My Party」をテーマとしてお届けさせて頂きます。


「It’s My Party」は、オールディーズの定番中の定番曲になっているので、
OLH(Oldies Live House)でも演奏されない日はないんじゃないの?
と思えるほどですよね。

彼女がデビューした1963年に発売され、瞬く間に全米1位の大ヒットになった曲です。
発売後は瞬く間にヒットしたんですが、その発売に至るまでの話がなかなか面白いんですよね。

御存じの方も多いかもしれませんが、実はこの曲は彼女がオリジナルではありません。

元々この曲は1962年に、フリーライターのシーモア・ゴットリーブが
娘のジュディが16歳の誕生日で泣き出した時の出来事を元に歌詞を書き、それを「シュローダー音楽出版社」にいたハーブ・ワイナーに渡したことで完成したと言われています。
だから、この曲はシュローダー音楽出版社の管理楽曲になっていました。

そして、それをレスリーよりも先に「ヘレン・シャピロ」が録音し、発売するアルバムの収録曲に含めていたんですよ。

しかし、それがアルバムより先に発売されるシングルには選ばれなかったんですね。
結局、そのアルバムが発売されたのは、レスリーの「It’s My Party」が大ヒットした後となったため、先に録音したヘレンのバージョンは、レスリーのカヴァーとしてみなされることになってしまったのです。

もし、ヘレンの「It’s My Party」がシングルに選ばれ録音後すぐに世に出ていたら、レスリーの大ヒットはなかったかもしれませんね。

そのヘレンと、レスリーの「It’s Mt Party」を両方載せておくので、ぜひ聴き比べてみて下さい。


☆「ヘレン・シャペロ」



☆「レスリー・ゴーア」



レスリーのバージョンはもちろんですが、ヘレンのバージョンもなかなか良いと思いませんか?

むしろヘレンのバージョンの方が「誕生日に失恋してしまう切ない歌詞」の内容に合っているような気さえもします。
僕はレスリーのバージョンを初めて聞いたとき、ポップな感じで良い曲だとは思いましたが、切ない歌詞の曲だとは全く感じませんでした。

この辺りがまた面白いところで、切ない歌詞を曲の中ではあえて強調せずにレスリー・ゴーアの良さを活かし曲のアレンジをした、プロデュース側の戦略と狙いだったのかもしれませんね。

そして、そのプロデューサーというのが「クインシー・ジョーンズ」です。

のちにマイケル・ジャクソンとタッグを組み、アルバム「Thriller」を共同製作することになる人物です。
そのマイケルのアルバムは、史上最も売れたアルバムとしてギネス記録にまで認定されています。

彼はプロデューサーになる前のプレイヤー時代には、レイ・チャールズと一緒にバンド活動をしたり、自身が率いるバンドで成功するなどの豊富な経験はありましたが、プロデューサーとしてはレスリーのプロデュースが初めての仕事でした。

その最初の仕事で、当時17歳だったレスリーをプロデュースし、全米1位を獲得するのですから本当に凄い手腕ですよね。
2人の出会いはまさに運命であり、お互いにとって運が良かったと言えるでしょう。

そしてまた2人の運が強いと思える話が、ちょうど「It’s My Party」を売り出す直前にあるんですよね。
ここからは来週の後編でお話ししますね。

本日、2月16日は「レスリー・ゴーア」の命日です。
だからこそ、ぜひ今日は彼女の「It’s My Party」を改めて聴いてみて下さい。

「It’s My Party」の日本語タイトルは、「涙のバースデイ・パーティ」でタイトルも内容も切ない曲すが、
命日の今日に多くの人が曲を聴いている様子をみて、きっと彼女は涙ではなく笑顔一杯で喜んでくれることでしょう。


本日のテーマは、「レスリー・ゴーア - It’s My Party(前編)」でした。
来週の後編もお楽しみに。

本日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
メッセージの方も、ドシドシお待ちしております!

読者のみなさんが、毎日幸せでありますように!


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