【日程・内容変更】「『冬の夜ひとりの旅人が』を読んで、読書感想文が書けるか?」読書会のお知らせ
書店員(誠品生活日本橋) 神谷康宏
日時:3月24日(木曜日)19時から1時間30分程度
場所:高円寺コクテイル書房 電話03-3310-8130
https://goo.gl/maps/kASP1nTRVVo23RHn9
最少催行人数:3名
必要なもの:「冬の夜ひとりの旅人が」(白水社Uブックス)
こんにちは。
このたびご縁があり、高円寺のコクテイル書房さんで読書会を開かせていただくことになりました。
昔むかし、僕がまだ貧乏学生だった頃、たぶん高田馬場にあった芳林堂か、大学生協のどちらかでこの本に出会いました。当時はまだ小説を読むことが僕にとってとても楽しかった時期で、ビニール盤のジャケ買いをするように、パッと眼についてパラパラめくって、ググっと魅かれた本は何でもレジに持っていくということをしていたと思います。80年代初頭、洋の古今東西を問わず、面白そうな小説を見つけては、買う→読む→売るということを繰り返していました。
とはいえ、どうしても最後まで読めない本というのが出てきます。そのうち僕は、自分が最後まで読める本と読めない本のちがいについて、自分なりにだんだん把握するようになってきました。
ところで中学の時の国語の教師は背が高く、痩せていて頬がこけ、無精ひげがうっすらと生えた狷介そうな老人で(僕が子供だったからそう見えたのかもしれません)、アニメ『鋼の錬金術師』に出てくるホムンクルスのおとうさまそっくりの枯れた声で授業を行う人でした。この教師は興が乗ってくると、生徒のことを無視して教科書のテキストを眼をつむって朗々と暗唱し始めるというやっかいな人物で、えっと、何が言いたいかというと、彼はありとあらゆる日本語のテキストに『太平洋戦争の惨禍に影響された書き手の魂を表現している』という解釈でオチをつけるという荒業を得意としていました。
恐らくこの先生のせいだと思うのですが(笑)、僕は以来、読書感想文が書けなくなってしまったのでした。
もう少し丁寧に言うと、読書感想文を書くという行為が、あらゆるテキストを何か雑で収まりのいい解釈に落とし込むということのようで、ひどくつまらないことのように思ってしまったのです。
そして、先ほどの、最後まで読める本読めない本という話が、何となく僕の読書感想文嫌いとつながっているような気がしているのですが、僕自身はこの読書会を通じて、この両者の関係を少しクリアにできないかな、と思っています。
『冬の夜、ひとりの旅人が』というイタリアの作家イタロ・カルヴィーノの代表作の一つは、ざっくり言ってしまうと、面白そうな小説を読みかけて、盛り上がってきたと思ったら止めさせられという行為を繰り返させられるという、いわば“読書のマゾヒズム”とでも呼べるような体験が出来る小説です。そして、読み進めるうちに、僕はいやおうなしに本を読むことそのものについていろいろと考えさせられることになった本です。さらに言うと、この小説の中に存在する、十篇の小説内小説の一つ一つが誰か世界的な作家のパスティーシュのようにも読めて、贅沢なはがゆさ?はがゆい贅沢さ?を味わうことができます。そして、もし予定通り読書会が開催出来たら、最後には参加者の皆さんのお一人お一人に、気儘に感想文を書いていただこうかな、と思っています。僕も、最後まで読める本と、かつて書けなかった感想文に、愉しみながら取り組むつもりです。
→と思っていたのですが、感想文はハードルが高い、回数も一回がいいという指摘をいただきましたので、ざっくばらんに感想を述べ合う会のようなものにしようかと思います。改めてよろしくお願いします。