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2024年 19 雄国沼のニッコーキスゲ
雄国沼は、ニッコーキスゲの群落があることを知り気になる場所だった。いつか訪れたいと思っていたがそのまま忘れていた。
喜多方という少し不便なところにあるのが気持ちが乗らない理由だったかもしれない。
見頃の時期を迎え行くことにした。
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ニッコーキスゲの見頃の時期は萩平駐車場から金沢峠までシャトルバスが運行されている。金沢峠から雄国沼へ下り、帰りは上り返す。
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木道が整備されているが、休憩ポイントが少なく立ち止まって愛でるところが少ない。
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ここへは東北新幹線郡山からローカル線で会津若松へ出てレンタカーを借りた。途中猪苗代駅に着いて思い出したことがあった。中学の卒業旅行で三月に友人と二人ここへ来た。
そう言えば中学の時、その時々の友人達と遠距離の旅行に出掛けていたのを思い返していた。自立という時期だったかもしれない。
中学の時は、不遇だったと思う。一人親方だった父の仕事の依頼は来なくなり敏感に察して成績は急降下した。だから自分の未来に高等教育はなかった。
そんな暗い時代でも友人達と旅行した。毎日地図を見ていて長いトンネルを通りたいと思っていた。
丹那トンネル、笹子トンネル、大清水トンネル。
長大な大清水トンネルを通るためだけにユースホステルに泊まり上越線を通り信越線から帰る旅行に友人二人を誘い周回した。きっと友人達は私の真の目的を知る由もなかったと思う。
後に川端康成の雪国の世界を経験したくて冬の大清水トンネルを抜けて引き返すということをした。
トンネルを抜けると雪国だったが、抜けて明るくなっても両側の雪の壁で電車の発する音が吸収されて籠った音が鳴った。
同級生で親しかった友人が長野に転校してしまい、友人と二人で冬休みに信越線の上田まで泊まりに行ったことがある。
信越線が横川の駅に着いて機関車を増結してアプト式の線路を登り軽井沢駅に着くとマイナス5℃と車内アナウンスされ車内に歓声が上がった。
そして中学の最後の春休みに猪苗代に来て友人と二人でユースホステルに泊まった。どうして彼との猪苗代の旅行なのか思い出せない。人選もそうだし、旅行先もそうだ。東北新幹線は当然開通前だ。この旅行の計画は自分がした。でも猪苗代だった理由が今は分からない。
単にニッコーキスゲを見に来るつもりだったのに、通過駅猪苗代が中学時代とその時代の友人達との旅行を思い出すスイッチになった。
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喜多方ラーメン四天王という、めでたいやで食事した。美味しくないラーメンなんて今時ない、でも、めでたいやの喜多方ラーメンはそんなにめでたくなかった。