積み残し2024年 31 玉置神社と瀞峡
2025年は賃貸アパートから引っ越す。家は亡くなった義父の土地に新築の家を建て義母が住んでいる。
長く住んだ賃貸アパートとはお別れする。
アパートの玄関には縁起物として玉置神社のお札を貼り付けている。悪魔祓いのお札だ。
新しく住む家の玄関にも玉置神社から悪魔祓いのお札を貰い受けたい。
12月に来たのは前回貰い受けた時、社務所には誰でもいなくて呼び掛けると奥からザンバラ髪の修験者が現れて、悪魔祓いのお札と木札を貰い受けた。木札は握るとジンジンする凄い霊力を感じた。同じものを貰い受けたいと12月にやって来た。
今回は社務所には神主さんがいてお札と木札を貰い受けたが修験者でなかったのは少しだけ残念だった。
その後いつものように玉石社に参拝して玉置山に登頂した。
山頂には鐘があり鳴らした。熊野の山々に響く鐘の音。
気持ちが良い。
玉置山山頂からは熊野灘が見える。神武天皇が大阪湾から大和に攻め込んだ時上手くいかず、太陽を奉る我々が日の落ちる方角から攻め込むから上手くいかない。日の登る方角から大和を目指す、と言って伊勢に向かうが新宮のあたりの岩礁に船が難破して兄を失い末っ子だった神武天皇が新宮から大和を目指すことになった。大和への道案内を頼んだのが八咫烏、今の熊野本宮大社だ。
玉置神社は役行者、役小角も修験道者として玉置山に登頂したと思う。時空を超えて役行者と接点を持てる場所だ。
今回も湯の峯荘に宿泊した。玉置神社へは3度目で縁起を担いでいつも湯の峯荘にしている。いい温泉だ。いつもは無色透明の温泉だが清掃して湯船に溜める時緑のエメラルド色になる。
以前は畳の部屋で胡座をして食べたがテーブルと椅子になっていた。給仕する人がアジア系で何処か聞いたらミャンマーと言っていた。
これから劇的に日本人が減る。日本人から同じサービスを得ようとするのは無理だ。日本の社会がどのように変質するか、想像も出来ない。ただ日本の普通の姿を今のうちに目に焼き付けて置きたい。
翌朝一番で熊野本宮大社にお詣りして牛王神符を戴いた。
瀞峡川舟クルーズに行った。客はオフシーズンで私一人だったが船を出してくれた。
若い時代大阪で仕事をしていたが、息抜きに一人でドライブに出掛けた。和歌山の何処か、山々が幾重に連なる展望台の眺めが忘れられず探し求めている。護摩壇山だったかと思い行ってみた。
でも違った。探し求める場所は永遠に見つからないかもしれない。