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気持ちにフタをする

44分ほどの報告だった。

マイケル・ジョーダンが活躍していた1990年代にNHKbsはNBAのシカゴブルズ戦をメインにチャールズ・バークレーのいたサンズ戦やカール・マローン、ジョン・ストックトンのユタジャズ戦を放送していた。

家ではたまに、出張で泊まるホテルのテレビでNBAを見ていた。マイケル・ジョーダンのプレーは周囲のプレーヤーが俊敏に動き廻る中でまるでスローモーションを見ているかのようだった。

慌ただしく俊敏な動きでマイケル・ジョーダンのシュートを阻止しようとするがマイケル・ジョーダンはゆっくりとシュートを撃ち止められなかった。

NHKがNBAを放送しなくなって随分経つがその間二人の日本人NBAプレーヤーが生まれた。

そして渡辺雄太がNBAからbリーグに活躍の場を変える報告をInstagramリールでしているのをyoutubeでアップしていた、聞き洩らすまいと65インチ大画面のモニターで集中して見た。

NBAは容赦のない過酷な世界なんだと思った。

渡辺雄太のバスケットボールへの思いに感銘を受けた。あのマイケル・ジョーダンやチャールズ・バークレー、カール・マローン、ジョン・ストックトンがプレーしていたNBAだ。

渡辺雄太は区切りをつけた理由に20代を終え30歳になる自分なりの答えの出し方を語っていた。

一通り聞き終えて私も30前後の年齢のときは苦しんでいたことを思い出した。振り返ると人生で一番苦しいときだった。

渡辺雄太と私では置かれた立場に大きな違いがある。でも同じ30歳前後で思い悩む時間があったのは共通しているように思えた。彼は決断できる次の機会があり私には機会はなかった。

渡辺雄太は気持ちにフタをしていたと語った。20代は気持ちにフタをすると。

私は30歳を迎えて認めたくない老いを少し感じていた。20代のときのように体力で気持ちを押し切れなくなっていた。人生をどう思い描くのか見えていなかった。20代のときより人生と向き合わなければならない。

サントリーホワイトを3日で空にしていた。寮を離れて住んだアパートに帰って酒が無いと寂しかった。酒が無ければどんな遅い時間でも酒を買いに行った。

酒だけが寂しい私を慰めてくれる。

渡辺雄太はあることで気持ちにフタを抑えられなくなりプレーに乗って行けなくなったと語った。

そしてもっとバスケットボールを楽しみたいと語る。

私は酒量を抑える必要があった。身体に痛みを感じ診察を受けると炎症があった。炎症を抑える薬が処方され薬を飲むが治らなかった。

薬が効かないのは酒量だと思って断酒することにした。アパートに帰って先ずオレンジジュースをコップ一杯飲んだ。するとお酒を飲みたくなくなる。こうして酒断ちして三年ほど禁酒した。

炎症の薬は効いたが断酒して他に何か好転することはなかった。ただ前のように酒量が増えることはなくなり今に至る。

渡辺雄太は気持ちにフタしたが私は飲酒にフタをした。




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