チバユウスケが残したもの - ROSSO、The Birthdayへ(3/3)
個人的な追悼記事、最終回。
第一回で自分が好きな初期チバユウスケもといTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの魅力を書いた。第二回では『THEE MOVIE』と『GIRLFRIEND』を取りあげることでミッシェルの先への話をした。
今回が一番書きたかったところで、チバにとってのミッシェルのその先──その代表的な活動としてROSSOとThe Birthdayの話をする。
まず、自分はミッシェルが好きで、ROSSOとThe Birthdayは今までシックリ来ていなかった。その話をする。
そして次に、今更気づいたその魅力を書いていく。
昔の自分のROSSOとThe Birthdayへの印象
ミッシェルに比べて両者がいまいちシックリ来なかった理由はいろいろある。そもそも3者を並べること自体がナンセンスなんだけど、素直に「アベがいない」も大きな理由だし、後追いの自分すら幻影をうまく振り払えなかった。
加えて、例えば第一回で「初期チバ(ミッシェル)」の魅力として2つ挙げたが、ROSSOとThe Birthdayを初めて聴いた時に感じづらかったのもある。振り返ろう。
「人懐っこい感じ」。
ある種の瑞々しさは、ミッシェル"中期"から"後期"にかけてものすごい速度で乾いていき、その姿を見せなくなっていった。さながら、"優しく気の良かった若頭が幼くして総長の座に就かなくてはならなくなった"ような変貌に見える。その最果ての先、ROSSOに人懐っこい感触はほぼない。世界は世紀末のようで、道路は荒れている。もうここで叫ぶしかない、そんな切迫感が強い。痛快なロックンロールより、ある種のハードコア味を感じとったのかもしれない。
「ある感覚をナナメから言い当てる」。
The Birthdayの音楽と言葉はドンと真っすぐ響いてくるものが多い。例えば「世界中に叫べよ I LOVE YOU は最強 愛し合う姿はキレイ」。力強い。きっと正しい言葉だ。でも後追いで、20歳くらいの当時の自分には、あまりに真っ当で眩しすぎた。その直球を素直に受け止められる器がなかったし、明るくポップすぎるように感じてしまったのだ。もっと捻くれた別解がほしかった──『世界の終わり』のようにパンを焼きながら、『リリィ』のように意識とばして逃げながら。
でも今なら、今更ながら、すこしはちゃんと聴くことが出来た。
ROSSOを聴く
一番有名な曲は『シャロン』だろうが、その魅力は誰もが知っているだろう。今回取り上げたいのはBa. 照井利幸、Gt. イマイアキノブ、Dr. サトウミノルによる4人編成のころだ。いくつか取りあげよう。
■『1000のタンバリン』
2004年リリースの1stシングル(シャロンはシングルではない)。
シャロンと同じくらい語り継がれるべき名曲。
まずこの頃はチバが一番シャウトしているんじゃないかと思う。ベンジーでいう2000年代前半(『38 Special』~『シルベット』)あたりの無茶苦茶さがあって、何故これで全国ツアーを回れたのか意味が分からない。歌い手として痺れるのがBメロ「やがてスコールが」の吐き捨てるような歌唱。喉に抜けのいいディストーションを飼った獣のソレであり、本当に無二。
焼き切れたカセットテープのような音像からしてモノクロの焦燥感がすさまじく、Ⅳ→Ⅴ→Ⅲ→Ⅵという"ザ・J-ROCK(POP)"な王道進行なのが信じられないくらい、突き放した世界観を感じる。ハイウェイを暴走するというより、「荒れた大地を行くアテもなくひた走る、それしか無いんだ」みたいな。こうした切迫感がROSSOのパブリックイメージじゃないだろうか。
■『バニラ - EP』
2005年リリースの2ndシングル(EP)。
『SABRINA HEAVEN』を正当に引き継ぐ、無常の世界。後期ミッシェルの世界観を引きずる人にはまずコレを差し出したい。
表題曲「バニラ」の抑えた演奏が今までになくクールだ。全体的な鳴りにDeath Cab For Cuiteなどの00sポストエモの感覚があって、2000年代中頃のアップデートが感じられる。
『ブランコ』はガレージ・フォークみたいな乾いた名曲。ボーカルに絡みつくイマイのギター、ベースでリードをとる照井さんのフレージング、どれも大人の哀愁と色気にあふれている。その中で、振り絞るようなチバの声、紡がれる言葉遣いだけが、どことなく若く、幼い。そんな演奏と歌のバランスが"無常さ"を際立たせている。
『シリウス』も珍しく物悲しいワルツで渋い。SHERBETSを思いかえす曲調だが、しっかりバンドメンバーの個性が出ている。
この2作は、「荒涼」のような言葉である程度まとめられるだろう。ただ、間のフルアルバム『DIRTY KARAT』はそうでもないのがROSSOの厄介なところだ。「何がしたい(何を表現する)バンドか」は最後まで定まらなかったと個人的には感じる。
■『ダイヤモンドダストが降った夜』
ただ、ROSSOがヤバかったのはライブアルバムを聴けば理解る(メンバー的に当然だが)。個人的にはこれが初手でも良いんじゃないかと思う。
しかしROSSOの音源はサブスクにないし、Youtube公式チャンネルも無い。CDも絶版状態で、訃報とともにプレミア化しつつあるる。こんな時こそあの存在を思い出してほしい。iTunes Storeで買うんだよ。
■『Emissions』 - 「発光」
2006年リリースのラストアルバム。
"ROSSOらしさ"は定義できないが、他に似たような作品が思い浮かばない点で、『Emissions』は一番ROSSOらしいだろう。基本的にはジャムセッションを主としたような楽曲たちだが、1曲目の『眠らないジル』から歌唱がヤバすぎる。そこにバンド全体がうねり合って熱風が巻き起こる。演奏≒楽曲が時間をかけて膨らみ拡散しているような……「膨張」。これがひとつ、ROSSOが秘めていた大きな可能性だったと思う。
その集大成として『発光』だ。10分49秒。この曲を聴き終えると、なにか憑き物が取れたような感覚になる。まず死んだように囁かれるボーカルに鳥肌が立つ。ポストロック的で今までになかったアプローチだ。後半、呻き上げるチバを追走するギターラインが美しい。空間を覆うようなベース、あくまで冷たい熱を保ち続けるドラム。そして声。「発光」なんて日本語をここまでの説得力で歌いあげられるボーカリストを他に知らない。
実質"チバソロ"といえる世界観が、TMGE『Girl Friend』とROSSO『発光』の2曲に凝縮されている気がする。どうしても並べたくなるが、これがチバ流「不良の森」(悪いひとたち)じゃないだろうか。名曲というよりも巨大な楽曲。孤高。
改めてみると、(4人編成になってからは)1年半の短い期間ながら、ものすごい充実した作品群だと思う。ROSSOはサブスクにないためアクセスしづらいが、ぜひまた聴かれてほしい。
実質的な前身バンドであるRAVENも要チェック。
The Birthdayを聴く
斜に構えていた頃の自分には眩しすぎたが、あらためてThe Birthdayは本当に良いバンドだ。とにかく演奏も音も気持ちいいし、どの角度から見ても理想のロックバンドって感じがする。
だけど真っ当に「良い」ものを「良い」と語りだすのは、中々どうして逆に難しい。個人的な聴きどころを挙げていこう。
■歌い手・作詞家としてのチバの変化
今更だがチバはシンプルに歌が上手い(スカパラ『カナリヤ鳴く空』だけでもわかることだ)。ROSSOでは「獣のソレであり本当に無二」と書いたが、The Birthdayではより表現力豊かなボーカルが聴ける。ポップスやソングの歌い手としてのうまさが味わえるのだ。例えば『KIKI The Pixy』の「魔法は使えない キキィ⤴……」の、頭をなでるように何処か優しい哀愁。『プレスファクトリー』では軽快なバンドサウンドにのせて肩の力をぬいた淡々としたボーカルを聴かす。楽曲ごとにスケッチを変えているのが伝わってくる。
歌詞にも変化がある。思えば『ブギー』も『ドロップ』も、変えようのない現在を歌った、現状認識、受動に近いものだった。「それでまた続いてくんだろう」。「舐めつくしたドロップの気持ち」。The Birthdayでは明確に歌われる。『KAMINARI TODAY』の一節を引こう。
力強い。意志のパワーだ。これがThe Birthdayの基本スタンスだと思う。初期ミッシェルでも、後期からROSSOへの荒涼とした何もない地平でもない、向かうべき方向へ進む意思を堂々と掲げた言葉。ロックンロールの王道だ。昔は眩しく感じられたが、今ならその心意気が、チバが歳を重ねて辿り着いた境地が自分にもすこしは分かる。
■名盤『COME TOGETHER』
そのままズドンと打ち出すが、自分が一番好きなアルバムは『COME TOGETHER』('14)である。
アルバムは『くそったれの世界』から、イントロもなしに高らかに宣誓する。「とんでもない歌が鳴り響く予感がする」。この予感が確信に変わるのに時間はかからないだろう。「世界中に叫べよ I LOVE YOUは最強 愛し合う姿はキレイ」なんて言葉が信じられてしまうのがロックバンドのマジックで、『COME TOGETHER』は正に"そう信じさせる"力を持つアルバムになっている。
年齢を重ねていくうち、ベンジーは「杏仁豆腐 タピオカ ショートケーキ Your Smile」、「まだ愛はないけど楽しくやっていこうと思ってるよ しゃれてる家具を買いに行ったりホームパーティーしたり」「普通に生きるってことはどういうことか知っているよ」など、個人、家庭や生活のスケールを音楽で描き出すようになった。
対してチバは、でっかく世界のほうに向かっていった。どちらが良いではなく、偉大なSSWの旅路の果て、その分岐を見いだせるだろう。
フレーズでは「そんな朝が来て 俺」がすごい。ほとんど「Olé」のフィーリングで歌われるその響きには祈りが宿っている。詩としては無作法で、歌詞としては120点である。思いだせばTMGE『リボルバージャンキー』を始めて聴いたとき、「世界の果てに、ボーサァ!ノバーが鳴り響いて……」なんて滅茶苦茶な歌詞の割り方、それが完全に成立していることに衝撃を受けた。およそ15年後の本曲でも、チバはずっとロックの作詞家として一流と感じさせるワンフレーズだ。
個人的に何気なく好きなのが『KNIFE』。ギター一本の弾き語りで成立するだろうSSW的な曲。狭い部屋で演奏するように奏でられていて、それが何だか「少年の一人遊び」のような景色を浮かばせている。ひとりで"外"に立ち向かうしかなかった少年。『SAKURA』『星の首飾り』など力強く前向きな楽曲がならぶ本作ではささやかな佇まいだが、アルバムに陰影の深みを与えている一曲だと思う。
そして大団円。最初に「"そう信じさせる"力を持つアルバム」と書いたが、ただ信じさせるだけじゃなくて、「一緒にいこうぜ」がThe Birthdayのメッセージだ。最後の合唱「パッパッパラ……」を聴くたび、名盤だと感じる。自分より大きくて、信じたい音楽だと、そう感じる。
もし未聴の方がいたら、ぜひ聴いてほしい。
■ただ、好きな曲を語る
語り足りないので、自分の好きな曲をいくつか挙げる。
『カレンダーガール』。これは当時から良い曲だと思った。ロックンロールのクリシェフレーズに乗せられて綴られるチバワールド。何が良いって、初期チバに近い目線がある気がするんだ。
『ROKA』。気持ちの良いパワーポップ、そこにチバがキラーフレーズを乗せる。このバンドはこういうグッドソングが多すぎる。何げないプレイだが、あくまでメロディを主役にしつつ並走するフジイのギターラインが素晴らしい。
『星に願いを』。ありそうでなかったド直球のマイナー・バラード。こういう曲は歌いだしが全てだが、当然ながらチバは120点のアンサーを出力してくれる。さりげなくニクいのはアウトロでRadiohead『High and Dry』みたいになるところ。うまく60-70sと90s以降を橋渡ししていて、ブルーズからエモへ、温故知新の余韻がある。
『GHOST MONKEY』。ここまで「良い歌だなぁ」って曲ばかり挙げてきたが、これはバンドサウンドにシビれるやつ。自分は『COME TOGETHER』~『NO MAD』のころが演奏、録音とも一番好きだ。ツインギターの振り分け、UK流の16ビートでグイグイ引っ張るヒライハルキ、クハラさんのリズム隊が抜群。Spotifyでみたら再生回数が少なめだったが、『夜明け前』も滅茶苦茶カッコイイ曲なので皆もっと聴いた方がいい。ギターソロに切り込んでいくカッティング、ツインギターの掛け合いがカッコイイ。
『抱きしめたい』ほかこの辺の曲を書き綴ると記事が1万文字を越えてしまうのでこの辺で。
見てもらえばわかるように、ここで挙げたのは代表曲を網羅するものでなく個人的なものだ。The BirthdayのディスコグラフィはGt. イマイアキノブ期(~2010)、Gt. フジイケンジ期(2011~)の2つに大きく分けられ、両期とも違う良さがある。
The Birthdayはたくさんの曲を残してくれている。
みんなも聴こう。
SNAKE ON THE BEACHのチバユウスケ
チバの関連作は数多いが、最後に実質的なソロ名義であるSNAKE ON THE BEACHの諸作についてもふれておこう。
最初の2作はなんとほぼインスト集である。いつもバンドを組んでいるボーカリストがひとりで制作した作品には、「"剥き出しのチバユウスケ"が収められている」なんてありふれたフレーズを結びたくなる。だけどソロ名義の諸作から感じられるのは、チバの内面どうこうよりむしろ、「この人は音楽が本当に好きなんだろうな」という実感だ。ある個人の内よりも、外へ無限に広がっている「音楽」そのものへの興味と敬愛を、多彩なアプローチから強く感じる。
そんなソロ名義からも歌ものが発表された。締めの1曲は『M42』としたい。ともすればこの曲は、高架下でどこかの誰かが通り過ぎていく人並みに弾き語ってそうなものである。それくらい素朴で純化されたものを感じる。
この記事シリーズの最初に、「初期チバユウスケの歌詞の魅力」を書いた。そこにある感触はこの曲にはもうほとんどない。だけど通底するものもある。何より、「あぁ、人として年輪を重ねたんだな」そんな重みがある。それを自分は心から尊敬する。
末尾
ここまで4つの記事で振り返ってきた。あらためて、チバユウスケが亡くなってしまったことが悲しい。
それにしても最後に発表された曲が『I SAW THE LIGHT』とは、なんて出来過ぎた話だろう。
「太陽をつかんでしまった」男は。
「ひかりはいつも優しくて だから俺はつらくって」と歌った男は。
真正面から"光"を見つけて掴んだ。
もちろんこれは、生前の偶然と、バンド・関係者の方々が仕立ててくれた奇跡のカーテンフォールだ。誰であれひとりの人間の逝去に必要以上のドラマを重ねることは失礼でもある。だけど、これだけは言える。周囲に、たくさんの人に愛されていたと。そして、ずっと遠い場所にいるリスナーだが、自分もその一人だった。
チバユウスケさんのご冥福をお祈りします。
本当にたくさんのものを残してくれた。
その音楽を、これからも聴き続けていきます。