はじめに
論文を提出する2021年7月、私が内子に移住して丸2年と4ヶ月が経過した。
初めて訪れたのは2017年5月。当時23歳の私は内子にとても居心地の良さを感じた。何がそうさせたのだろうか。ずっとわからないまま時は過ぎた。
東京にいる頃の私は身も心も荒んでいた。途方もない虚無感のような、どこからも責められているような、何をしてもダメな感じがした。
周りにもたくさん迷惑をかけていた。そんな自分の逃げ場として、救いの手を求めて内子に暮らし始めた。
23歳の無一文な自分に、驚くほど内子の人は温かく迎え入れてくれた。その優しさに甘えながら、おんぶに抱っこになりながら、空き家活用などに取り組んできた。
そうこうしていると、元内子町役場職員の岡田文淑さんから声がかかった。週に何度も会うようになり、ようやく内子に来て感じた「居心地の良さ」がわかった。
「おもてなし」それが答えだった。知らず知らずのうちに、私は内子の人々からたくさんのおもてなしを受けていた。
働き方改革、生きる意味の喪失、環境問題、戦争に至るまで、世の中のありとあらゆることが立ち行かなっている。
資本主義や帝国主義からのパラダイムシフト(大転換)を求める風潮もある。次に信じるべきはITでもAIでもないのかもしれない。もしかしたら「おもてなし」を手がかりに導き出されるのかもしれない。
「おもてなし」は、刻一刻と失われている。それは内子に限ったことではなく、日本中、至る所で消滅している。
おもてなしは環境問題に少し似ている。アルプスの氷が溶けてしまうと元に戻らないように、一度失ってしまうと、再生にとても時間がかかる。
では「おもてなし」とはなんなのか、おもてなしはどうやって作られ、継続していくものなのか。
その探求と、おもてなしの重要性を訴えるためにこの論文を書きたいと思う。
最初から言い訳しておくが、この論文は岡田文淑さんを中心にでできている。
おそらく、私より岡田さんの思想やこれまでの活動を上手く書き表せる人がいるのではないかと思う。全国の岡田ファンが代わりに書いてくれることを切に願う。
またこの文章を読んで、おもてなしの心を持って、行動を起こす人が1人でも多く現れることを願う。