子どもの運動会での葛藤
先日、3歳の息子の運動会があった。
普段はなかなか平日に休みを取ることが難しい故に、言い訳でしかないのだが、安易な気持ちでの参加をしてしまった。
とりあえずスマホがあれば、動画も撮れるし、写真も撮れるし、ええやろ!
と高を括って意気揚々と家を飛び出した。
が、しかし。
甘かった。
最初の出番は徒競走(30m)であったが、なんとかゴール付近を陣取ることができた。
そして、息子の出番となったとき、ちゃんとタイミングもバッチリで
スマホで動画に収めることができた。
よっしゃ!
息子もゴール付近の私に気づき、飛び切りの笑顔を向けてくれ、手も振ってくれた。
占めたものである。
ここまでは・・・
ここまではよかったのである。・・・
この次に、ダンスを披露する番となった。
しばらく、息子の様子を観ていると
そのダンスは徒競走のゴールとは反対の位置に陣取って、披露することが分かったため
移動をしようと思い、反対側の保護者観覧席に移動した。
そして、いざ、本番。
一生懸命に踊ってはいた。・・・いたのだが・・・
完全に明後日の方向を向いて踊っている。
あれ?
そうか!?
そう。
息子は先ほどまで私が陣取っていた、徒競走のゴール付近の方を見ていた。
つまり、私を探していたのである・・・
なんとも複雑な気持ち。
他の子も一生懸命に踊っている手前、
「ここだよ!」とか、名前を呼んで気づかせるのも躊躇う・・・
ああーー・・・やってしまった。・・・・
動画を撮っていたが、なんとも言えない気持ちになった。
そこで、ふと、手を止めて周りを見回してみた。
そのときに、何となくの違和感を感じた。
たくさんの保護者の方々がいらっしゃったのだが、誰を見てもスマホやビデオカメラを片手に撮影している。
つまり、極端な話が『画面越しでの子どもたち』しか見ていないように私の目には映った。
たしかに、時代の流れとして、容易に撮影がしやすい環境となってきたのかもしれない。
でも、しっかりと肉眼で子どものありのままの姿を見てやり、自分の頭に刻んでやりたいという気持ちが、どこかしてきた。
その後、親子でダンスといった企画があったので、そこには妻が一緒に参加してきた。
一緒に楽しそうに、幸せそうに、満面の笑みで踊っていた。
その様子を観ていて、私はスマホを構えることすら忘れてしまっていた。
今は数日が経ったが、今でもそのときの笑顔が目一杯に頭に焼き付いて離れない。
「ああーー、大事なのはこういうことか」
と、勝手に一人で納得してしまった。
以前、ふかわりょうさんが新聞の一部に『いいねなんて、いらない』といったタイトルで投稿されていた。
「目の前にあるものを、レンズ越しではなく、体全体で感じたい。残せる安心感よりも、残せない緊張感。今を油断したくない。」
とつづられていた。
全くその通りであると深く心に残っていた。
運動会の終わりに、園長先生が挨拶をしていた。
「子供の成長は本当に早いもので、気づいたら大きくなっていた。できることが増えていた。なんてことが、たくさんあると思います。どうか、こどもたちの今を、一挙手一投足を見逃さないようにしてあげてください。今しか魅せない子どもたちの表情、怒ったり、泣いたり、笑ったり、いろいろな面をしっかりと見守ってあげてください。」
染みた。
グッとくるものがあった。
本当に大事にしたいものが、何となく見えたような
そんな一日であった。