「圧倒的な当事者意識」を言語化する
「圧倒的な当事者意識」を自分も常に持っていたい、と考えています。そう考える日常の中でふと「当事者意識」とはなんだろうか、加えて「圧倒的」とはどのような程度なのだろうか。と疑問に思いました。これなんじゃないか?ということが考えられたので、言語化しておきます。
あくまでも僕の考えであり、何かを調べたり検証したわけではないので、あらかじめご容赦ください。もし「圧倒的な当事者意識」という言葉を使われる際に少しでも参考になれば幸いです。
当事者意識とは
まず、当事者意識とは、Weblio 辞書では下記として定義されます。
ここで当事者とは?があったので、もう一つ引用します。
つまり、何か仕事がアサインされた時に「これは自分が直接関わっている仕事である」という意識を持つことであるとわかります。これは仕事をしている人では極々一般的なことだと解釈できます。つまり、評価の中で目標が制定され、その達成に向けて頑張ることだとシンプルに捉えるのが良さそうです。
「圧倒的な当事者意識」とは
「圧倒的な当事者意識」は当事者意識が圧倒的にある状態であり、程度の話だと考えられます。ここで僕が考えている「圧倒的な当事者意識」は今日からでも使えるように意訳をつけて、言葉の定義としても自分に当てはめやすく書きます。
「圧倒的な当事者意識」を持って仕事に取り組むとは
"上長が管掌する組織階層の視点と時間軸の視点を併せて持ちつつ、自分の権限範囲内で仕事を遂行すること"
であると考えています。要するに「上長の〇〇さんならどう考える?」を常に念頭におくことです。よく仕事をしていて困った時には冗長に相談して、アドバイスをもらうことがあると思いますが、そのようなことを自分の思考内で想定することです。
この時、重要な観点として「圧倒的な当事者意識」とは"意識"なので、上長と同じ権限での意思決定権はないということです。権限と責任はセットなので、上長視点で思考していたとしても、権限的にはあくまでも自分が持っている範囲内に止めることです。また、上長視点で思考し何か良さそうなアイデアが浮かんだら上長に対して進言しても良いかと思いますが、今回のnoteではそこまで考慮はしていません。
組織階層の観点
「圧倒的な当事者意識」の一つ目の要素として、組織階層の視点があります。まず、当事者意識では自分のことについて関心が払われます。もちろん、必要であれば上長や横の繋がりでのコミュニケーション、他部署との関わりが生じますが、シンプルにするために自分だけとしました。この視点における"圧倒的な"という程度は、上長の視点です。上長の視点とは上長が管掌しているチームにおける情報を全て把握して、相談を受けたり、指示をしたりしている状態です。上長もまた、さらなる上長や上長と同じ階層の横の人たちとのコミュニケーションがあると思います。上長が有する観点において、自分に対してフィードバックや指示をしてくるため、上長が持っている情報は全て把握しておくことが重要です。
例えば、自分が開発チームに所属していて、上長が開発チームのリーダーだった場合、上長は他のメンバーとコードの保守性について話をしました。上長は理解しつつも優先すべきことがあり、保守性については特にアクションをしませんでした。しばらくして、あるバグが生じたことをきっかけに、上長は今のままでは近い将来大きな改修をしなければならないと気がついたとします。そのため上長は自分に対して、〇〇という観点の保守性を加味した実装をしてほしいと指示をしました。
一見、当たり前のような話ではあります。自分は自分がこなすべきことをやってきたわけなので、指示されていなかったことにまで目を向けることが原理的にできません。しなしながら、「上長は他のメンバーとコードの保守性について話をしました」という事柄において、他のメンバーの人は言語化をしてドキュメントに書き残しておいたとします。それを見た自分は、上長に対して「〇〇という観点の保守性を加味した実装」をしても良いか?と相談することや、それらを他のメンバーにも通知してチーム全体に浸透させたりと、上長がやろうとしていたことを「上長は理解しつつも優先すべきこと」をこなしつつ、できるかもしれませんし、それは上長にとってもありがたい話だと思います。加えて「今のままでは近い将来大きな改修をしなければならない」ならば、今から手を加えて行った方が後々の変更コストは少なく済むかもしれません。それは自分にとっても都合が良いことです。
今回の場合は、自分の視点を上長の視点、つまり開発チーム全体について広げることで、当事者意識の程度を一つあげる試みです。単純にこれだけではなく、横だったりさらに縦だったり、別の方向だったりするので、あくまでも一例としました。シンプルに「上長の〇〇さんは今何に困っているのか?どういう事を考えているのか?自分がどういう動きをすると良いだろうか?」みたいな問いかけを自分にしてみると良いと思います。
時間軸の観点
組織階層の視点に加えて、時間軸の視点が「圧倒的な当事者意識」に必要なもう一つの視点です。
時間軸の視点はシンプルで、あくまでも自分は上長よりも短いスパンで将来を見据えているという前提ですが、上長と同じ長期スパンで仕事に向き合うことを意味しています。
例えば、自分は半年後、つまり4半期の中で「今期はこれに取り組もう、来期はこんな感じかな」と考えていたとすると、上長は「1年後にはこうなっていないとなので、逆算すると今期はこれを達成しておかないとまずい」みたいな考えをしている中で、自分も自分の範囲においては同程度のスパンで仕事に向き合うことが重要です。
時間軸の視点の場合、シンプルではあるものの「未来は誰にも予想できない」という不確実性があるために、難易度はかなり高いと思われます。というのも、1年後にこうあるべきという状態は競合だったり、世の中だったりの外部的な要因と、内部のさまざまな部署の状態や他事業との兼ね合いを考慮した上で、自分たちのプロジェクトにおいてはこうあるべきを定義しなければならないためです。加えて、不確実性を加味すると未来のあるべきパターンはたった一つではない可能性もあり、あらゆることを前提に未来を想像して今に落とす必要があります。そのため、外部からの情報収集をしたり、内部のあらゆる情報をインプットしておく必要があります。
たった一つ必要なこと
「圧倒的な当事者意識」に必要な組織階層と時間軸の視点を確認してきました。僕は「圧倒的な当事者意識」を各人が持つために組織に求められるたった一つのことがあると思います。
それは、情報の透明性です。
言い換えると、情報の非対称性がなくなることが可能な状態を維持する、必要な人が必要な情報にアクセスできるようにすることが必要だと考えています。現在、非常に多くの組織が情報の透明性については言及しているかと思いますが、本当の意味で情報が透明である組織は難しいと考えています。それはただ単に、情報に対してただたんにアクセスする権限があるだけの状態では、真に透明性があると言えないからです。
もちろん、人事や知られてしまっては経営が危ぶまれるようなシークレットな情報は除かれます。それを除く、組織の中で日々やりとりしているすべての情報に対して「必要な人が必要な情報にアクセスできるようにする」ことはどういうことなのでしょうか。それを阻むこととしては、例としては以下が挙げれます。情報がさまざまな場所に散り散りになっている、情報はあるにはあるが、断片的になってしまっていてつなげて理解することが難しい、文脈を理解している人が見ればわかるがそれ以外は読み解くがことが難しいように書かれている、などです。個人的には、情報はフルオープンにしているわけだから、あとは情報を取得する側の責任であると突き放ししてしまうのは非常にもったいないと思う一方で、情報をアクセスしやすいように整理をしたり、文脈を含めて丁寧に書くことは非常にコストがかかるので、難しいという理解もしています。
情報はフルオープンであるが、実質的な情報の透明性が低いと、見かけ上の情報の非対称性が生じてしまいます。もちろん、今までの経験的な側面もあるのですが、それを加味すると複雑性が高くなるので、人間は論理的であり、同じインプットをすれば同じアウトプットがでるはずだと前提するのであれば、情報の非対称性が生じてしまっている状態では組織階層と時間軸の視点が欠如することにあり、「圧倒的な当事者意識」を持つことはできない、と考えています。端的には「え、その話を聞いてたら、別の考えになったのに、、、」という状況が起きえます。
なぜ「圧倒的な当事者意識」を持つことは困難なのか?
当事者意識を持ち、設定された目標に対して良い評価を得るためには、目標を超える成果を出す必要があります。それは言語化可能な工夫によって目標を超過した成果を出すことです。よくある例ですと、セールス担当が100万円が目標だったところを、150万円売ってきました!とか、120万円でしたがこれこれこういう工夫をして誰でも使えるような仕組みづくりをしました!とかが必要だとします。
設定された目標は、100%の力を出していれば、達成できる目標だと仮定するのであれば、普通にやったら、100点の成果が出ます。では、普通ではない何か要素を足す必要が出てくるのですが、週に40時間働いていたとして、40時間をフルで設定された目標を達成するための時間に使っていては普通の成果が出てしまいます。あくまでも、空想上の話ですが。そのため、100点の成果を40時間よりも短い時間で創出をしつつ、空いた時間で工夫することで120点とか150点を目指す必要性があります。
危険な話として、これを時間的に40時間以上働く、長時間労働することで工夫をしよう!と考えてしまうと、短期的には成功したとしても、どこかでそのツケを払わなければならなくなる時がきますし、個人的な状況として共働き子育て世帯なので、物理的な時間を捻出することは非常に困難なので、その選択は取れないという事情もあります。
なぜ「圧倒的な当事者意識」を持つことは困難なのか、というと100点の成果を40時間よりも短い時間で創出しつつ、空いた時間の工夫により120点や150点の成果を出すようなチャレンジを常にする必要があるためです。もちろん理想ではあるのですが、すべての人が簡単にできるとは思っていません。
当事者意識と自分ごと化
このnoteを書いていて、当事者意識と同じような言葉に「自分ごと化」があると思いましたが、区別することができたので書いておきます。
当事者意識が「これは自分が直接関わっている仕事である」という意識を持つことだとするならば、「自分ごと化」とは自分が直接関わることができない状況に対して、自分がその状況になったら?ということを想定して仕事に向き合うことである、と考えています。
例えば、自分が医師向けの業務改善SaaSを提供していたとします。でも、自分は医師ではないし、その業務を実際に体験させてもらうこともライセンス的に困難だとすると、医師の話を聞いて「自分のことのように考える」必要があると思います。
このように当事者としての意識と自分のことのように考えることは使い方が異なると思います。自分ごと化に関してはこのnoteでは詳しくは考えません。
「圧倒的な当事者意識」と経営者視点
僕は「圧倒的な当事者意識」は"上長"の視点であると考えています。しかしながら、同じく用いられる用語として「経営者視点」があると思います。この視点には、組織規模に応じて2つのケースとがあると思います。
組織が10 ~ 20人以下のフェーズにおいては「圧倒的な当事者意識」と「経営者視点」がリンクして、ほぼほぼ経営者視点になりえます。組織規模が小さいフェーズは階層構造がなかったり、あったとしても取締役やCXO直下みたいな構造になると思います。社長直下というケースもあるかと思います。「圧倒的な当事者意識」を持つことで、みんなが経営者の視点になって思考し、行動をすることになります。組織規模が小さい時には、情報がオープンになっていれば、情報の量やコミュニケーションパス、オフィスでは物理的な距離も近くなるので、周りを把握しやすいですし、おそらく創業フェーズでそういう気質の人が多く入社されていると思うので「圧倒的な当事者意識」は自然と実践されやすいのではないでしょうか。
組織が社長を起点に階層が多くなってくる50人以上のフェーズにおいては、「圧倒的な当事者意識」と「経営者視点」が離れてしまいます。僕が「圧倒的な当事者意識」は"上長"の視点であると考えている理由として、それより上の階層にいってしまうと、キャリア的な指向性において自分が目指したい像ではない場合や取得すべき情報量が爆発してしまい、自分の能力とのギャップが広すぎて、本来やるべきことも普通の成果もでなくなるのではないかと思うためです。もちろん、「経営者視点」を持つことは非常に重要なので、理想論として全員がそうであればよいと思うのですが、現実問題として難しいという理解です。
具体的に書きますと、例えば開発組織において
CEO => CTO (経営者) => チームマネージャー => 自分
という階層だった場合、自分視点で「経営者視点」とはCTOが該当するかと思います。この時、自分が目指すキャリアとしては実はプロダクトマネージャーだったり、エンジニアリングマネージャーだったりと経営者としてのCTOではなかった場合に、CTOと同じ視点で情報を収集することはtoo muchになってしまうと考えられます。また、CTOは広い情報を収集していて、それが役割であるので、それと同等のことをやろうとすると無理が生じることがあると考えています。そのため、まずは"チームマネージャー"の視点に立ってみよう!というのが僕の主張です。
最後に
「圧倒的な当事者意識」について、自分が考えていることを言語化してみました。そのため、何か根拠があるわけでもなく、この考えも後で変わるかもしれませんが、「圧倒的な当事者意識」を持って素晴らしい成果を出せる何かヒントになれば幸いです。
当事者意識を理解する時に、視座の話も頭に入れておくと理解が進みやすいと思われます。こちらのnoteもよく読み直しているので、おすすめです。参考にしてみてください。