「所属」したいけど、できない
HSPという言葉を初めて知ってから何年経っただろう。本屋さんで初めて自分と似た感覚について書いてある本を手に取った時のあの衝撃。
それから2~3年は「HSP」について調べまくったり、HSP同士でお茶会をして自分以外のHSPさんと交流をもったり、とにかくHSPであることに依存しまくっていた時期があった。
でも、HSP同士であっても諍いが起こったり、お互い分かり合えないという壁にぶつかったり、今まで居心地の良かったはずのHSPという場所を窮屈に感じたり、HSP同士の中にも同調圧力を感じるようになったとき、HSPであることは自分の中のほんの一部分であって、HSPというだけで人をひとくくりにしたり、表現することはできないんだということに気づいた。
こうやって文章にして書いてみると、当たり前のことなのにどうして何年も気づかなかったんだろうと愕然とする。どんな似たような気質を持つ人間同士だって、必ずうまくいくとは限らないし、その方が自然なのだ。
私がHSPに拘ってしまった理由は「はじめて所属できる場所」ができたからだと思う。居場所と呼んでもいいものが人生ではじめてできた。これまでは掬った砂が手のひらから落ちていくように、私はどこに所属してもそこから転げ落ちた。おもしろいくらいに。
転職だって両手の指の数じゃ足りないくらいしているし、友人同士の仲良しグループにも長期間所属できたことはないし、趣味のサークルだって続かない。
客観的に見れば「ダメ人間」「社会不適合者」と呼ばれる種類の人間だ。それでもなんとか50年と少し生きてきた。人生はなんとかなるものだと改めて思う。
少し前まではSNSでもHSPを前面に出す人が多かったけれど、最近ではそういう人も減ってきた気がする。みんなきっと「何か」に気づいていったのだろうと思う。何に気づいたのかは人それぞれだろうけれど。
HSPという気質だけで人間をカテゴライズすることは難しい。相田みつをさんの言葉をかりると、HSPだって「人間だもの」。いろいろあって当たり前。だから自分の気質の特徴を知ったうえで、それぞれの場所でそれぞれの才能や特長を生かして咲けばいい。ただそれだけのことなんだ。