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劣ってるところだって個性

小さい頃は、人と違ってることが恥ずかしかった。自分の声も容姿も表情も大嫌いだった。

すべてが人より劣っていると感じていた。手足に汗をかくことも、運動音痴なところも。自分のすべてが嫌で嫌で仕方なかった。

人は優れていて
私は劣っている

いつしか自分の中に優劣の基準を作り上げ、それを信じて疑わなかった。

自分と人を比べては、拗ねてひがんでひねくれて…。その繰り返しだった。

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あれから数十年経ち、オバサンと呼ばれる年齢になって「劣っているところも私の個性」「ダメな自分も愛おしい」そう思えるようになってきた。人間変われば変わるものだ。「オバサン最強説」はダテじゃない…。

何が私を変えたのかハッキリとは分からないけれど、自分がHSPだと気づいたことがキッカケになったことは確か。あとは時間が解決してくれた部分も大きい。

小さい頃は人と違ってること・人より劣ってることが、「自分」という狭い世界の中で大きな割合を占めていた。生死を分けるほどの悩みだった。けれど自分が認識している世界の外側にはもっと広い世界があるのだと知れば、自分がいかにちっぽけな存在で、自分の悩みが思ってるほど深刻ではないと分かる。

「できない」も個性。「劣ってる」ことだって自分の特徴であり、使いようによっては特長。

私は私。あなたはあなた。せっかくこのように生まれついたのだから、それを楽しまないのは勿体ない。

何でも「おもしろがる」ことができるようになったら最強。どうせ生きるならおもしろおかしく暮らしたいものです。


あなたのお気持ちとコーヒー1杯で半日がんばれます! 私にエッセイを書き続けていくエネルギーをください!