古くて新しいポップ・ミュージック オタク兼腐肉の日記#2

 音楽が好きだ。

 自己紹介の機会があるたび、僕はそう言ってきた。
 そしてそのたびに後悔してきた。もっと狭い意味の言葉を使うべきだったなあ、と。

 これまでの経験上、自己紹介で「音楽が好き」と言う人間にろくなやつはいなかった。僕も含めて。

 というのも、彼らはTVでよくかかる音楽以外を、音楽と認識していないことがほとんどだからだ。
 それは言い過ぎにしても、僕と彼らの趣味が合った試しはない。

 もちろん、僕が悪い。音楽好きと自称しておきながら、最新のヒット・ソングを追いかけていないし、絶望的に他人を見下しているからだ。

 僕は僕の趣味を絶対だと思っているし、相手は僕の趣味なんかどうだっていい。ただ、ある程度の共感と一致を目指す雑談をしたいだけだ。

 彼らはポップ・ミュージックが好きで、それは僕も同じ。
 僕の場合、そこに「広義の」という言葉が付け加えられるわけだが。
 細野晴臣や大瀧詠一、ビートルズやビーチ・ボーイズ、ナット・キング・コールやエラ・フィッツジェラルド、エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリー、マイケル・ジャクソンにマーヴィン・ゲイ。僕の趣味はこれらを起点に始まっている。

 僕はここに名前を挙げたミュージシャンたちの作品を、ポップ・ミュージックとして認識している。多分間違っていないはずだ。この内の一人くらいは、誰だって好きになれるはずだ。

 過去、洋楽が好きだと言って彼らの名前を挙げた知り合いは一人もいない。一人もだ。ちなみに一番多かったのはNirvanaだった。僕も大好きだ。

 どうして現実というのは、こう狭いのだろう。もちろん僕が閉じこもっているからだ。
 しかしながら、これ以上自己紹介のときに「本好き」と「音楽好き」を名乗る人物と接触してみるというギャンブルに乗る気にはなれない。リスクが大きすぎる。

 膨らみすぎた自意識を持つ僕が、そんな他人を責めることはできないし、そんなことは意味がなく、非常に格好悪いことだ。なにしろ僕が悪い。僕の自意識が。

 どうして僕は、彼らの好きなポップ・ミュージックを忌避するのだろうか? 僕は決して新しいものはカスで、古いものほどよい、みたいな老いと耄碌の極地みたいな性格をしているわけではないはずだ。星野源は好きで熱心に聴いているし。
 ただ良いと思うものを良いなあ、と思いながら聴いている。それは誰だって同じはずなのに、どうして僕はビニールとホコリのにおいがする音楽についてばかり話そうとしてしまうのだろうか。

 一応、答えはある。
 新しいポップ・ミュージックの多くは、新しくないからだ。
 逆に比較的古い時代の音楽は新鮮に響く。

 新しい音楽は、近い世代の音楽の変形にすぎないことが多い。だって世代の音楽に影響受けないってことは、それが反発であれ恭順であれ、まずないだろうから。

 そしてその近い世代の人々はそのまた少し前の近い世代の音楽に影響を受け、その世代よりも少し前の世代の音楽に影響を受け……何度も世代のレイヤーが重ねられ、あるときはオーバーレイとかがなされながら、今の世代まで繋がっている。
 それでも、新しい時代のものは古い時代のものをすべて包含しているとはいえない。その時代、その人たちにしか出せない音がある。

 最新か、少し前の世代のものは馴染み深すぎ、あまり新鮮に響かないということだ。もちろん、良いものは良い。新鮮に響くかそうでないか、というだけだから。

 さて、長々と陰気な独り言を読まされるのも飽きてきたころだと思う。
 古くて新しい、素敵なポップ・ミュージックのアルバムを3つばかり紹介しようと思う。
 かなり有名で、語り尽くされたものばかりだから退屈かもしれませんが、まあお付き合いください。


1.エルヴィス・プレスリー登場!(1956)

 まずは『エルヴィス・プレスリー登場!』から。
 タイトル通り、エルヴィス・プレスリーのファースト・アルバム。

 アルバム・ジャケットから強烈! 溢れ出るカリスマとエネルギー。

 一曲めの「Blue Suede Shoes」はカール・パーキンスのカバーで、ノリノリのロックンロール。エルヴィスはやっぱり声がかっこよすぎる。ビートも最高。これだけ延々とループしてても風呂場で踊り続けられますね。
 本家のカール・パーキンスバージョンもかっこいいけれど、エルヴィスの声で歌われるとまったく古臭さを感じなくなる。

 三曲め、四曲めは小粋でノれる「I Got Woman」「One-Sided Love Affair」と、これまた珠玉の演奏。

 七曲目はリトル・リチャードの名曲「Tutti Frutti」。ヴォーカルの迫力はリトル・リチャードに負けるものの、こちらのヴァージョンもスマートでクール。

 十一曲めの「Blue Moon」はリバーブがかかったボーカルにおとなしい演奏と、このアルバムの中では異彩を放つ楽曲。ぞわぞわするほど妖しい魅力のある楽曲。ぽこぽこなってるバッキングがちょっとイージーリスニングっぽい。

 総じて、あまりにもクオリティの高いロックンロールが繰り広げられ、小難しいことは抜きにして三十分熱狂できるアルバム。
 とにかくおすすめ。とてもかっこいいので。


2.Pet Sounds(1966)

  ポップ・ミュージックのアルバムといえば、『Pet Sounds』を紹介しないわけにはいかない。
 精神の奥深い部分からあふれる混乱と孤独を、美しいポップ・ミュージックにしてしまった伝説のアルバム。

 このアルバムに関しては本が何冊も出ているし、名盤ランキングとかだとトップ常連なくらい神聖視されているので、下手に語らないようにする。

 とにかく十周くらいリピートしてほしい。

 一曲めの「Wouldn't It Be Nice」は明るく、CMで何度か使われているので、耳馴染みのあるかたも多いかもしれない。
 八曲め「God Only Knwos」は涙が出るほど美しい。

 僕が言えるのはこれくらい。あとは自分で音の波に揉まれて確認してみてほしい。本当に素晴らしいアルバムなんです。



3.HOCHONO HOUSE(2019)

 最後に新しめの作品を。
 邦楽史上に燦然と輝く大名盤『HOSONO HOUSE』を細野晴臣氏自らがリメイクした『HOCHONO HOUSE』。

 親密なバンドサウンドが特徴的だった『HOSONO HOUSE』から一転し、一人ですべての作業(演奏は言うに及ばず、ミックスやマスタリングまで!)を手掛けた異次元のアルバム。

 エレクトリックなビートとサウンドを多用しているのだが、妙に聴き心地が良い。癖になる。

 三曲目の「恋は桃色」はボーカルを抜けばLo-Fiなアンビエント・ミュージックっぽい雰囲気なのに、細野氏の円熟した低音ボーカルが入ることで、一気に洒落たポップ・ミュージックに聴こえてくるのだから不思議だ。
 歌詞も良い。楽曲の持つ力が大きすぎる。

 ラストを飾る十一曲目「ろっかばいまいべいべい」はいかにも宅録っぽい、ラフなサウンド。一番原曲に近いかもしれない。
 肩の力が抜けた、フォーキーな楽曲。ベランダで風に当たっているような爽やかさ。


 とりあえず三枚に厳選してご紹介してみた。
 断っておきたいのは、ビートルズのアルバムはすべて最高なので、今回紹介しなかったということだ。全部聴いてもらって……。
 いずれ、また、なんかの機会で紹介したいと思います。

 ぜひ、あなたのおすすめアルバムも教えてください。この記事を読んでまだ僕と個人的に関わり合いになりたいと思うような人間は。

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