運転手さんですか?
「運転手さんですか」
鉄道会社で働いているというと良く聞かれる。
鉄道会社は、生活サービスのコンビニエンスストアだ。
生活に必要なサービス事業は、ほぼ全部手掛けている。
街に出ると、小田急百貨店、東武百貨店、東急百貨店、近鉄百貨店、京王百貨店、名鉄百貨店、京阪百貨店、ルミネ、ジェイアール名古屋タカシマヤ、ルクア大阪、阪急うめだ本店、阪急オアシスなど鉄道会社が親会社の百貨店が目白押しだ。これらは駅に隣接しているため、すぐ買い物できる便利な場所にある。
そんな中央駅の周辺でビジネスをしようとすると、不動産屋で物件を探さなくてはならない。東急不動産をはじめとした不動産会社からオフィスビルを賃貸することになる。仕事場が決まれば、住むところを探す。東急リバブルなど不動産会社よりマンションなどの物件を探すことになる。
家がなかなか見つからない場合は、ホテル暮らしになる。メトロポリタン、阪急ホテル、東急ホテル、プリンスホテル、シェラトン都ホテル、ホテルグランヴィアなどに泊まることになる。平日は仕事だが、休日はレジャーに行く。西武園ゆうえんち、志摩スペイン村、東京ディズニーランド、海遊館、東武動物公園に遊びに行く。これらも全部鉄道会社が運営している。
日本の鉄道事業のビジネスモデルは阪急電鉄の創業者である小林一三氏が作った。鉄道の開業とともに展開したいろいろな事業が目指したのは、便利で環境の良い住宅に暮らし、デパートで買い物をして、観劇を楽しんだり、ゆとりのある生活をする理想のライフスタイルの創造だった。
鉄道会社の仕事は、鉄道バスタクシーの運輸業、分譲賃貸再開発の不動産業、百貨店スーパーの流通業、宿泊・テーマパークのホテルでジャー業の4つに分類される。
鉄道の建設と同時に進められた沿線の宅地開発。「頭金として、売値の2割、残りを10年間月賦で払い込むと住宅の所有権を移転させる」という住宅販売方法を提案して、サラリーマン層の多くの人がマイホームを持つ機会を作りました。現在売上が一番大きいのは、その不動産業になっている。
鉄道の利用増を狙って、宝塚に「宝塚新温泉」というレジャー施設を解説した。その中に屋内プールを開設したのだが、屋内プールは温水にしないといけないということを知らなかった。そのため事業としては失敗となってしまいます。この使えなくなったプールと見物席を客席に、脱衣所を舞台にしたのが、宝塚歌劇の誕生でした。ここで少女の可愛い公演をやろうとひらめいた。ここksts制作や指導に携わる人たちや、少女たちの熱い思いが東京や世界に進出していきました。
神戸本線が開業し、大きなターミナル駅となった梅田駅。毎日多くのお客様が利用するその場所に百貨店を開業してはどうかと言う構想を思いついた。当時の百貨店は、呉服屋発祥のものが多く、駅から離れた場所にあった。車による無料送迎サービスなどでお客様を迎え入れていた。それなら駅に百貨店があれば、送迎の必要がなく、気軽に使うことができるということで始まった駅直結の百貨店。当時は日本中、いや世界中探しても駅に直結した百貨店はなかった。大阪に進出しようとしていた白木屋から学び百貨店を作った。これが阪急百貨店うめだ店のスタートだった。
鉄道を走らせたのだが、大阪の中心である梅田から誰も住んでいない田舎に向かって鉄道を引いた。そこで沿線のさらなる乗客誘致に向けて、沿線上に動物園などの娯楽施設を作った。買い物をする人は梅田の百貨店へ、余暇を楽しむのには郊外の動物園へということで乗客は増えて行った。
東京でも、この経営手法を倣って鉄道ビジネスをしたのが東急電鉄の五島慶太でした。鉄道でも、土地でも、商業施設でも売り上げが上がる。そこに住む人が鉄道を起点にずっとお金を落としてくれるので、何重にも利益があがるというビジネスモデルをこの時代に作りました。
一昨年オリックスバッファローズが日本シリーズで優勝をしました。26年ぶりの優勝だということで世間は沸いていた。気が早い人は、優勝セールを狙って買い物のリストアップをはじめていた。このオリックスバッファローズは、1936年阪急が親会社として発足して、1988年まで阪急ブレーブスとして発足した。小林一三はいずれプロ野球の時代が来ると予見。ライバルであった阪神電気鉄道が立ち上げた大阪タイガースの対抗するため立ち上げた。本日は、鉄道事業の過去を振り返ってみた。
これからも鉄道事業を通して、便利で快適なライフスタイルを届けていきたい。