ロックとは生き様ではなく死に様である
臨床心理士の友人とロックな生き様について話していて、ひょっとしたらロックに生きるとは生き様ではなく死に様ではないかという話になった
だいたい音楽をやっている人間は、30代で決断を迫られる
若い頃のように定職に就かずに音楽をやり続けるか、音楽は趣味にして定職に就くか
若い頃にロックと言っている人ほど30代で定職に就くことが多いのではないか
実際にはわからないが、僕の周りには多いような気がする
若い頃の無茶苦茶というのは普通でただの若気の至りというやつなのではないかと
30を過ぎ、40を迎えても20代のように信じた道を真っ直ぐに生きることこそロックなんじゃないかと
そこで、僕の話になる
3億の借金で住むところをなくしたり、女に騙されて住むところやお金をなくしたり、女に騙されたり女に騙されたり
(まぁ、その時は幸せな時間であったことも間違いないのだけど)
40にもなってそんな20代のような生き方している人は中々いないのではないかと
なるほど
そうなのか
たしかに、誰かに僕みたいな生き方できますか?
と問えば、みんな嫌だろう
まぁ、僕の話はいいのだが、、
要するに、長い目でみないと計れないことが多く
若いうちの無茶苦茶をロックというのは尚早だろうという話になった
そうなると、ロックとは生き様ではなく死に様と呼ぶべきではないか
そして、それは
武士道とは死ぬことと見つけたり
に通じるものがある
鍋島藩の武士としての心得を説いた「葉隠」に記される有名な言葉であるが
死ぬことを意味しているのではなく、死ぬ覚悟で物事に取り組めということ
すなわち、死ぬまで信念を貫け
と解釈したい
それこそがロックであると
ロックに生きて死ぬ
死際にこそ人間としての真価が問われるのだと
なぜ、牛肉を山ほど買い込み酒を飲みながらそんな話をした
その通りだと思う
しかし、夢を捨てて違う道を選んだらロックじゃないのか?
大切な人や新しい夢のために新しい人生を選び、生ききる人生もまたロック
自分のことばかり優先して家族を大切にできなかった僕は果たしてロックなのか?
答えはわからないし、正解はどこにもない
ただ、ここまで来たら自分の道を貫きたいとは思う
ロックに生きて死にたいものである