奥武蔵について語るときに僕の語ること

天覧山について

飯能中央公園から東峠までは大体80分(と少し)かかった。80分(と少し)走った感触は良くも悪くもといったところだ。

ちなみに大体のトレイルランナーは「山を走る」という表現をするが、たいていのレベルのランナーは半分以上は歩いている、言わずもがな僕もその一人だ。


東峠からトレイルに入る瞬間に、僕の中で『真の飯能アルプス』が始まる感じがし、少し体が強張る。東峠以前と以降の飯能アルプスを人生に例えるのであれば、以前は学生時代であり、以降は社会の荒波に揉まれる時間となる。

東峠から少し進んだところに現れる急登を見ると社会に出たばかり、日々の業務に追われ目の前のことに対応するのに精一杯だった自分を思い出す。
(トレイルイン直後の少し足元が悪い割と平坦な区間は新人研修で甘い水を与えられている時間だ)

この急登と対峙する際、身体が重いときは特に心が折れそうになる(実際、子の権現24の時は本当に引き返したくなった)。心が折れそうになった時、15年前の自分には負けられないよなと自分自身に言い聞かせるようにしている。

そうすれば『あの時の経験』から1歩1歩進めばこの急登を乗り越えられることを知っているからだ。ちなみに、僕はプライドが低い人間だと自分では思っているが、それでも自分の15年間は否定したくない。


急登を登り切り稜線に出ると一旦勾配が落ち着き、ようやく走れる区間が現れる。ここは20代の中盤、多少の経験値と力の抜き方を覚え、20代前半よりも軽やかに生きてた自分について小走りしながら思い出す気持ちのいい区間だ。


少し進むと再び頂上への急登がやってくる。やれやれ、奥武蔵では軽やかに走れる(ボクは心の中で『走れる』を『生きれる』区間と言い換えてる)
区間は相変わらず短い。まるで僕たちの人生のように・・・・・

この急登を登ると30代になる。それは結婚やら(今となっては)少しの大きな仕事やらで踏ん張ってた時期と重なる。がむしゃらにとまではいかないが、頑張りどころだということは感覚で分かっているため、出来る限りプッシュする区間となる。

なんとか天覚山に登り切ると、目の前にはなかなかの景色が広がる。
(景色の良い武蔵五日や丹沢に比べるとだいぶ劣るが、景色のない奥武蔵では『なかなか』と表現してもよいと思う)



ここで一息つく。


心地よい風が火照った体を冷やしてくれる。ここまでの苦労が報われる瞬間だ。

ここで調子を改めて確認し、本日のトレーニングで最大限の効果を得るためにはどれくらいの心拍数でどのルートをチョイスすれば良いのだろうかと?休憩がてら自問自答する。

そして、休憩が終わったら、再びトレーニングが始まる。
この先のアップダウンはここまで以上に厳しくなる。それは分かっている。
分かっていながら進むしかない。これもまた、留まることを許されない僕らの人生模様を描いているみたいだ。

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僕は飯能アルプスに人生を重ね合わせながらトレーニングを繰り返している。その時間は苦しく、辛いものであるが、それ以上に充実もしている・・・・時間なのだと信じている。

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