奥武蔵について語るときに僕と彼女が語ること
高麗周辺にあるとあるカフェについて
「ここは、少し騒がしいわ、私たち、いや、少なくとも私にとっては」
コーヒーをすすりながら、ほっぺたを膨らませながら彼女はつぶやいた。
ほっぺたを膨らますのは不機嫌な時によく見せるしぐさだ。
「人によっていいのかもね、この雑音や無秩序に作られたが景色がね。でも、私には受け入れることはできないわ、だってほら、このお店のコーヒーはこんなに甘くておいしいのに、こんな雑踏の中ではこのコーヒーの甘さを味わいきれないわ」
昨晩寝た女性のことをぼんやり考えていた僕(昨晩寝た女性と目の前にいる彼女はもちろん異なる女性だ)にとって、この雑踏とした空間とほどよく甘く後味の良いコーヒーは心地の良い空間だったのだが、彼女にとってはどうも納得がいかなかったらしい。
時計を見た。
14時を少し過ぎたところだった。
日の沈む時間が遅い5月。
何とかなるだろう。
「じゃあ行こうか。」
彼女の返事を待たずに、僕は立ち上がった。外は暖かそうだったため、ベージュ色のカーディガンは羽織らずに肩から掛けることにした。
駅で特急チケットを買い、最近完成した噂の近未来的な形をした特急に彼女と乗り込んだ。彼女は座り心地のいい近未来の椅子で座ると一言。
「着いたら起こしてね」
そういうと、彼女は目を閉じた。
やれやれ、僕だって眠りたいのに。僕は寝過ごさないよう、目的地までの間「昨晩寝た女性」と「隣にいる彼女」そして「3日後に寝る女性」のことを考えることにした。
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1時間後、僕らは「高麗駅」に到着した。
駅前には奇妙な形をした2本の赤い棒(棒という表現が正しいものか分からないが、なんと表現すればいいのか分からない奇妙なもの)が立っている駅だった。
外はまだ暑かったため、僕は再びベージュのカーディガンを脱ぎ肩にかけた。日差しが強い時間だったため、彼女は大きめの麦わら帽子をかぶった。
僕らはお互いのペースで川沿いを歩いた。僕らにとってのお互いのペースとは3分のうち1分は僕が立ち止まって彼女を待つそんなペースのことだ。
駅から歩くこと30分(僕は20分)、僕たちは目的地に到着した。そこは蔵を改装した小さなカフェだった。
「素敵なカフェね、外観だけで言えば私好みだわ」
彼女はほっぺたに軽く手を当てながら言った
ほっぺたに手を当てるときは嬉しいときによく見せるしぐさだ。
中はがらんとしていた。僕らはカウンター席に座り、僕は深めのブラジルを、彼女は浅入りのエルサルバドルを注文した。僕らはお互い好みのコーヒーが決まっており、初めて入る店は好みのものを注文することを決めているから注文までに時間はかからなかった。
お店の中には僕と彼女とマスターだけしかいなかった。マスターは物静かな雰囲気の人だった。
静かな時間が流れる。
そこにコーヒーの香りが溶け込んでくる。こういうのも悪くないと思った。
コーヒーが運ばれてきた、最後は自分でプレスするスタイルだった。それは、自分のタイミングでコーヒーをカップに注ぐことを好む、彼女好みのスタイルだった。
いつだっただろう、付き合って間もないころ彼女はこんなことを言っていた
「私、コース料理の順番を入れ替えたくなるのよね。大体のコース料理って最初に前菜が出てくるじゃない。で、その次がスープ。でも私の場合、だいたいは先にスープが飲みたいのよね。まず温かいスープを飲んでホッとしたいの。それから料理が食べたいわ。あと料理の最後がメイン料理の場合が多いと思うのでけど、メイン料理にたどり着く前にお腹が一杯になることがあるから、あれもやめてほしいわ。男の人には分からないでしょうけどね」
そんなことを思い出しながら、目の前にいる彼女を眺めつつ、ぼんやりとコーヒーをすすることにした。僕の頭の中には昨晩の彼女も3日後の彼女もいなくなっていた。
■cafe sorte
■〒350-1246 埼玉県日高市梅原64−8
■http://www.cafesorte.com/
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