熊野山の山号を持つ石手寺ー概要と境内の1

 石手寺(いしてじ)は、伊佐爾波神社の別当寺であったとされ、「愛媛県史」には源頼義と河野親経が関わった49の薬師堂の一ヵ所とあり、山号を熊野山ということから、熊野信仰の広がりをテーマとする当ブログにとっては強い関心を抱きます。さらに四国遍路のルーツとされる衛門三郎(えもんさぶろう)の再来伝説を伝えていることなど、話題豊富な寺院です。
 石手寺の正式名称は、熊野山(くまのざん)虚空蔵院(こくぞういん)石手寺と言います。真言宗豊山派(ぶざんは)に属します。豊山派の本山は奈良県桜井市にある西国三十三番霊場第8番札所の長谷寺です。本尊は源頼義と河野親経が関わったとされる薬師堂の一ヵ所とされるとあるように薬師如来です。場所は松山市石手2丁目9ー21。四国八十八箇所第五十一番札所。道後温泉に近いため、お遍路さんだけでなく観光客も多く訪れ、2009年3月にはミシュランガイド(観光地)日本編において1つ星に選定されています。初詣や厄除け祈願の参詣者は県内随一だそうです。
 石手寺へのアクセスは、伊予鉄道城南線(路面電車)の道後温泉駅下車1.3km。またはJR松山駅から伊予鉄バスで約30分石手寺バス停下車。道後温泉街から歩いても15分くらいです。
石手寺の境内についてです。
○山門(仁王門)が国宝に指定されています。 
○本堂(薬師堂)には本尊の薬師如来坐像が安置されています。創建当初の本尊は文殊菩薩でした。その後は熊野三所権現を祀る熊野権現社となっています。毎年10月下旬には本堂の内拝があります。
○大師堂には、本殿秘仏弘法大師像を模したと思われる大きさ姿がそっくりの大師像を眼前で拝顔できます。かつては壁に正岡子規、夏目漱石らの文化人の落書きがあり「落書堂」と呼ばれていましたが、その壁は第二次世界大戦中に塗り直されました。ただ現在でもホワイトボードが置かれていて落書きができるようになっています。
○訶梨帝母天堂(かりていもてんどう)は、訶梨帝母尊(鬼子母神、きしもじん、きしぼじん)を祀る祠です。妊婦はこの祠の周りの石を持ち帰り、無事に出産したら石を2つにして返すという風習があります。
○一切経堂▪︎輪堂と、傅大士(ふだいし)像。傅大士(497~569)は中国南北朝時代の斉(せい)から梁(りょう)の在家の仏教信者で輪蔵の発案者。輪蔵(りんぞう)は正しくは転輪蔵(てんりんぞう)といい、一本の柱に八面の棚を置いてそこに経典を納めた回転式の本棚で、腕を伸ばして横に一回転させればそこに納められている経典を読んだと同じ功徳が得られるとされています。そして輪堂にはその発案者である傅大士の像が祀られているということになります。傅大士は、朝、起きる時には仏とともに起き、夜、眠る時には仏を抱いて伏すと語ったといわれ、昼間は農作業をして夜に仏道修行に励んだ在俗の人で、文字の読めない人であっても、誰もが仏教に出会う方法がないかと考えて輪蔵を考案したと伝えられています。傅大士は、中国の斉から梁にかけての人です。梁は斉から禅譲を受けて建国されましたが、どちらも短期間存在した王朝です。一切経(いっさいきょう)は大蔵経(だいぞうきょう)とも言い、仏教経典全部を言います。


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