湯神社の初子祭

 湯神社の特殊祭事の「初子祭(はつねさい)」は、親しみを込めて「はつねさん」と呼ばれ、現在は1月の第2月曜日(成人の日)と前日の日曜日の2日間で行われます。もとは旧暦の11月初めの子(ね)の日に行われていました。当日は縁起餅まき▪︎どんど焼(神札焼上祭)▪︎福引▪︎足湯▪︎餅つき▪︎水軍太鼓などの催しがあり多くの人で賑わいます。
 この祭は祭神の大己貴神(おおなむちのかみ)が鼠に助けられたという伝説に由来します。その伝説について、湯神社の公式サイトから引用します。
 大国主命は若い頃の名前を大己貴神と言いました。大己貴神には兄弟が大勢いました。ある時、この兄弟が共に因幡の八上姫に求婚しようと言って出掛けましたが、八上姫は大己貴神に嫁ぎますと言いました。この言葉に怒った兄弟たちはいろいろな手を使い大己貴神を殺そうとします。大己貴神の母は「お前がここにいてはいつか兄弟たちに殺されてしまいます。紀の国の大家彦神の所にお逃げなさい」と言います。そこで大己貴命が大家彦神の所に行くと、兄弟たちも追ってきました。大家彦神は「根の国の須佐之男神の所に行きなさい。必ず何とかしてくださるでしょう」と言って逃がしてくれます。根の国に来た大己貴神は須佐之男神のところに行くと娘の須世理姫が出てきて、一目で愛しあってしまいます。須世理姫は大己貴神を父の須佐之男神の前に連れて行き、私はこの人と結婚したいと言います。須佐之男神は、大己貴神に次々と試練を課します。この試練の中で須佐之男神は鏑矢を野原に放って大己貴神に取って来るように命じ、大己貴神が野原に入ると、すぐに回りに火を付けました。大己貴神が火に囲まれて困っていると、1匹の鼠が現れて「内はうつろで、外はすぼまっている」と言いました。そこを踏みしめると穴に落ち下に隠れている間に、火が通りすぎました。幾つかの試練をくぐり抜けた大己貴神は、須佐之男神から、兄弟たちを倒しこの国の主となり、現し国魂となって、須世理姫を正妻とし、宇迦の山の麓に大きな宮殿を作って、そこを治めろと言われます。大己貴神は見事これを果たし国を作った神の尊称として大国主命と呼ばれるようになります。この大国主命が鼠に救われたという伝説に基づき、古くから旧暦11月の初めの子(ね)の日に祭りが開かれるようになり「初子祭」の名がつけられたといわれています。とあります。
 「初子祭」の由来となっている鼠にまつわる伝説ですが、『古事記』に数多く書かれている大国主命の受難伝説の一つです。湯神社の説明の中の八上姫(やかみひめ)の求婚伝説に登場するのが因幡の素兎(白兎)です。大国主命の母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。大国主命が母の助言で紀の国で会った大家彦神は大屋毘古神(おおやびこのかみ)で、五十猛神(いたける、いそたけるのかみ)の別名とされ、和歌山市の伊太祁曽(いたきそ)神社に祀られています。五十猛神は須佐之男神の息子です。鼠は大己貴神に「うちはほらほら、そとはずぶずぶ」と言って、地面は軟らかいし、内部は空洞になっていると教えてくれ、さらに須佐之男神が放った鏑矢を咥えて持ってきてくれます。大国主命が須佐之男神の娘の須世理姫(すせりひめ)を正妻としたことで、八上姫は因幡国に帰って行きます。大国主命がその麓に宮殿を建てたという宇迦の山は出雲大社近くの山とされます。

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