四天王寺七宮の3ー熊野大神宮を合祀した久保神社
久保(くぼ)神社には神社が立てた説明板があります。それに書かれている内容です(原文は縦書きです)。久保神社御由緒 鎮座 大阪市天王寺区勝山ニ丁目一八九番地 御祭神 天照皇大神 速素盞鳴尊 伊耶那岐尊 伊耶那美尊 宇賀御魂神 当社は天照皇大神祀る旧久保村の産土神なり、往昔四天王寺建立の際其の守護鎮守の神として創建せされ、天王寺七宮の一つとして、また境内には願成就宮として聖徳太子の深く信仰あらせ給い、御願の成就を遂げ給うにより願成就宮と称へ、今に庶民の信仰絶えず霊験あらたなりと言われる。又当社は浪速神楽の家元である。明治五年村社に列し同四十年十月十四日東成郡生野村大字国分字東の村社稲生神社、生野国分町字西、熊野大神宮を合祀し、同四十三年十一月十七日神饌幣帛料供進社に指定される。境内は八九七坪にして本殿▪︎幣殿▪︎神庫▪︎社務所等を、存していたが、昭和ニ十年三月十三日戦災の為焼失。現存の社殿は昭和ニ十七年再建したものである。 末社 正一位白玉稲荷大明神▪︎方除神社▪︎白龍神社 大岩▪︎小岩大明神▪︎願成就宮。とあります。
久保神社の鎮座地は現在の住居表示では天王寺区勝山(かつやま)ニ丁目5ー14となっています。祭神についてウィキペディアによると、主殿 天照大御神 相殿 熊野大神 速素盞男尊(はやすさのおのみこと) 伊邪那岐尊 伊邪那美尊、宇賀御魂神(うかのみたまのかみ) となっています。熊野大神は合祀された熊野大神宮の祭神。宇賀御魂神は同じく合祀された稲生神社の祭神。この両社が祀られていた東成郡生野村国分は現在の天王寺区国分町。
久保神社の久保は窪地の「窪」で、昔この付近は窪地であったことが社名の由来です。久保村の産土神で四天王寺七宮の一社。
末社の願成就宮(かんのうじゅみや)ですが上述の神社の説明板ではよく分かりません。同じ名前の「願成就宮」は四天王寺の境内に太子堂と並んで建っており、「守屋の祠」とも言います。四天王寺のパンフレットにはこのお宮について次のように書かれています。〈聖徳太子の誓いによって物部氏の土地を没収して、物部氏の部民を使役して四天王寺を創建したのであるが、これを守屋の霊がお許しになった事、さらにお助けになった事で、無事四天王寺が出来た事を「願いが成就できた」として守屋公を祀ったと伝えられている〉とあります。四天王寺が聖徳太子の願い通りに完成できたのは、滅ぼされた物部守屋の冥助によるとして守屋を祀ったのが願成就宮ということです。四天王寺の願成就宮が物部守屋を祀っているということですから、久保神社の願成就宮も物部守屋を祀っているということになるかと思います。久保神社の願成就宮には願掛けでお参りする人が多いそうです。方除神社と白龍神社は小さな祠が並んでおり、白龍神社は女人の守護神。大岩▪︎小岩大明神は名前の通り岩が御神体で「頭脳」の神様を祀っているそうです。
神社の説明板にある浪速神楽(なにわかぐら)は、関西地方を中心に伝わる里神楽で、その由来については吉田家が神楽125座を編み出したのが起源とする説と、伏見稲荷大社に伝わっていた御所神楽25座のうち16座くらいが浪速神楽と共通する事により伏見稲荷大社説があります。現在、大阪府内に広がる浪速神楽は大阪府神社庁が定めた曲を主に行っています。
久保神社はJR大阪環状線の寺田町(てらだちょう、内回りの大阪方面で天王寺の次の駅)駅下車徒歩10分。