四天王寺七宮の5ー1生に1度の願いを聞いてくれる堀越神社
堀越神社(ほりこしじんじゃ)は天王寺区茶臼山町(ちゃうすやまちゃう)1ー8、天王寺公園の一画にあります。旧村社。聖徳太子が四天王寺を創建した際、崇峻天皇を祭神として風光明媚な茶臼山の地に社殿を造営したのが始まりと伝えられており、四天王寺七宮の一つです。崇峻天皇は四天王寺七宮の一つ河堀稲生神社の祭神でもあり、七宮のうちニ社で非業の死を遂げた崇峻天皇を祀っているというのは注目されます。当神社の祭神についてウィキペディアでは、主祭神 崇峻天皇配祀神 小手姫皇后(おてひめこうごう)、蜂子皇子(はちこおうじ)、錦代皇女(にしきてこうじょ)と記しています。神社の公式サイトでは、祭神として第32代崇峻天皇の名前だけが書かれています。小手姫皇后は崇峻天皇の妃であり、蜂子皇子と錦代皇女は二人の間に出来た子供です。小手姫皇后については福島県伊達地方に絹織物や養蚕の技術を伝えたという伝説があり、それについては章をあらためて書くことにします。
堀越という社名の由来は、かつて創建当初から明治時代の中頃まで境内の南に沿って堀があり、この堀を渡って(越えて)参詣したことからと言われています。堀越神社は古くから「一生に一度の願いを聞いてくださる」と尊崇を集めています。それだけ霊験があらたかということになります。堀越神社は交通量の多い谷町筋に面していますが、境内は樹齢数百年に及ぶ樹木をはじめ緑が多く閑静な境内となっています。堀越神社へは地下鉄御堂筋線天王寺駅から徒歩約15分。
堀越神社の境内には本殿、拝殿、茶臼山稲荷神社、熊野第一王子之宮、太上神仙鎮宅霊符尊神、黒龍社、白龍社があります。
茶臼山稲荷神社はかつては茶臼山の山頂にあり、大坂冬の陣に徳川家康が茶臼山に本陣を置き稲荷神社にお詣りしたからか、大坂夏の陣の際に真田信繁(真田幸村)の攻撃を受けた時、茶臼山稲荷の白狐に危機を救われたと言われます。そのこともあって家康の茶臼山稲荷への信仰は厚く、大坂夏の陣の後、現在地に遷され、江戸時代には大坂城代が新たにその任に就くと当社に詣でて幣帛を奉り、燈籠を献じ、茶臼山の家康本陣跡に詣でたと伝えられています。
熊野九十九王子の第一王子は窪津王子(くぼつおうじ)といい、もとは八軒屋船着場のすぐ近く、中央区天満橋付近にありました。現在この場所は坐摩(いかすり、ざま)神社の行宮になっています。坐摩神社はもともとこの場所にありましたが、大坂城築城の際に現在の中央区久太郎町4丁目渡辺3号に遷りました。窪津王子は後に四天王寺西門近くに熊野神社として祀られましたが、大正4年(1915)2月10日に堀越神社の摂社「熊野第一王子社」として堀越神社の境内に移転しました。
堀越神社に祀られる鎮宅霊符神は、太上神仙鎮宅七十ニ霊符尊神といいます。鎮宅霊符とは家内の安全を保つこと、またそのために行われる祈祷の総称でもあります。
茶臼山は標高26mで大阪五低山の一つです。周辺は天王寺公園になっています。茶臼山は前方後円墳とみられ、四天王寺の別名「荒陵寺」も茶臼山古墳に由来します。山裾には河底池(かわぞこいけ)があり、この池は延暦7年(788)に和気清麻呂が大和川や河内湖の排水と水運のために開削した跡とも言われ、公園と茶臼山とを結ぶ和気橋(わけばし)で池を渡ることができます。