阿須賀大行事と呼ばれた阿須賀神社(1)
阿須賀神社は中世に「阿須賀大行事(あすかだいぎょうじ)」という名前で史料に登場します。大行事は、寺院における法会の際に、万事の指揮をとる僧侶のことをいいます。法会の主宰者の補助者ということで、阿須賀大行事という言葉には、速玉神の補佐役という意味があります。これに類似した例として白山権現があります。白山も三所権現と言われ、主峰御前が峰(ごぜんがみね)には主神のイザナミ(本地は十一面観音)、別山(べっさん)にはイザナミの補佐役として大行事権現(菊理媛、本地聖観音)、大汝峰(おおなんじみね)には大汝権現として大己貴命(本地は阿弥陀如来)という組み合わせです。
阿須賀大行事について、川崎剛志氏の「熊野本地の一変奏 ー『熊野山略記』の記事をめぐって一 四阿須賀大行事の前生」には次のように書かれています。「『新宮仮名書縁起』や『新宮縁起』では熊野三党の先祖にあたる神の名がいくつもあげられ、神々の系譜が記されるのだが、阿須賀大行事もその系譜の中に位置づけられている。飛鳥大行事 大宮 大威徳明王 六頭六面六足為魔縁降伏也。摩訶陀国ニテハ権現ノ惣後見也。飛鳥、稲葉根、稲荷、同体也。飛鳥大行事ハ、自権現以前ニ、蘆鳥神ト云鳥ノ羽ニ乗テ下、熊野ヘ来故ニ、名飛鳥権現。又、新宮へ大シホゝ為不合上也。御戸ヲ守セテ御座ス也。飛鳥東ハシニ御座スハ三狐神、宇井、鈴木、榎本ノ母也」。さらに熊野三党由来の条に、「権現、御氏人漢司符将軍ヲ、先、熊野山新宮へ差遣之。漢司符将軍者、於天竺被召仕臣千代定正三位云々末孫也」。また『平家剣巻』(長禄四年1460奥書) には「ウイ党、スゞキ党ト申ハ、熊野ノ権現ノ摩訶陀国ヨリ我朝ヘ飛渡セ給フ時左右ノツバサト成テ来リタリシ物ナリ。是ニテ熊野ヲ我ガマゝ二官領シテ、又人ナクゾ振舞ケル」
この資料に飛鳥大行事は摩訶陀国では権現の惣後見とあります。これは室町時代に成立したお伽草子の「熊野の本地」がベースになっており、さらにこの「熊野の本地」は『神道集』の「熊野権現之事」に依拠しています。したがってまず「熊野の本地」を説明しないといけないのですが、ストーリーが長いので、別の機会にします。ご了承ください。「熊野の本地」を念頭にこの資料が作られています。飛鳥大行事は権現(この場合は速玉神)の後見人であり、飛鳥、稲葉根、稲荷は同体であり、三狐神は熊野三党の母であるという内容は既に紹介しています。ここで注目したいのは、「飛鳥大行事は権現より前に鳥の羽に乗って熊野に来たので、飛鳥権現の名前がついて、熊野権現の警護役。」これは飛鳥という名前からの連想で鳥に乗って熊野に来たという話になっています。熊野三党の由来では、飛鳥権現の名前はなくて漢司符将軍となっていて、権現より新宮に遣わされたが、将軍は天竺で臣下として仕えた千代定の子孫だとあります。千代定は御垂迹縁起に出てくる猟師です。『平家剣巻』では、熊野三党(ここでは宇井、鈴木)は権現が摩訶陀国から日本に飛来した時に左右のツバサになってきたので、熊野に来てからは好き勝手に振る舞っているとあります。ここに引用した資料はいずれも飛鳥大行事は権現の家臣で、権現より先に熊野に来ており、さらに熊野三党は飛鳥、稲葉根と同体である稲荷(三狐神)がその母である。つまり熊野三党は飛鳥大行事の子であるということが書かれています。
ここでは飛鳥の神が速玉の神より古いとしています。そういう伝承が背景にあったのかもしれません。