長谷寺本尊はどこが違っているのか?

長谷寺の本尊はその像高が三丈三尺六寸(1018cm)あります。これは国宝や国の重要文化財に指定されている木造彫刻では最大のものとなっています。銅造では奈良の大仏や鎌倉の大仏など巨大なものがあります。大きさだけでも十分な差別感がありますが、前章でも書いているように、わざわざ「長谷型十一面観音」と言われるように他の十一面観音像とは異なっているところがあります。それは観音像の右手には数珠ととに地蔵菩薩が持っているような錫杖を持っていることにあります。さらに台座も蓮華座ではなく方形の磐石の上に立っています。ただ左手には通常の十一面観音像と同じように水瓶を持っています。
このような観音像が造られた理由として、すでに書きましたが、徳道聖人が天照大神の本地を知るために伊勢神宮に参篭して、この姿を感得したという伝承があります。また、ウィキペディアでは、伝承によれば、これは地蔵菩薩と同じく自ら人間界に下りて衆生を救済して行脚する姿を表したものとされ、他の宗派(真言宗を含む)には見られない独特の形式である。となっています。このように錫杖を持った十一面観音像を「長谷寺式十一面観音(長谷型観音)」と呼称する。とウィキペディアに書いています。
長谷寺のサイトによると、開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきた。現在の尊像は、室町時代の天文七年(1538)に大仏師運宗らによって造立された。とあります。天文(てんぶん、てんもん)年間は1532~1555年。時の天皇は後奈良天皇。将軍は足利義晴、義輝。まさに戦国時代の真っ只中です。ウィキペディアによれば室町時代は仏像彫刻の衰退期であるが、本像は10メートルを超える巨像を破綻なくまとめている。と書いています。
初代の十一面観音像について、ウィキペディアによると、神亀年間(724~729)に近隣の初瀬川に流れ着いた巨大な神木が大いなる祟りをなし、恐怖した村人の懇願を受けて徳道聖人が祟りの根源である神木を観音菩薩像に作り替え、これを近くの初瀬山に祀ったという長谷寺の開山伝承がある。伝承の真偽はともかく、当初像は「神木」等、何らかのいわれのある木材を用いて刻まれたものと思われる。となっています。
長谷寺の本堂に安置されているこの木造十一面観世音菩薩立像は国の重要文化財に指定されていますが、木造難陀龍王立像及び像内納入品、木造赤精童子立像及び像内納入品が本尊の「附」として重要文化財に指定されています。
長谷寺にはこの本尊のほかに、銅造十一面観世音菩薩立像が所蔵されています。この像は鎌倉時代の作で、像高86.1cm。こちらも国の重要文化財に指定されています。本像も右手に錫杖、左手に水瓶を持つ「長谷型十一面観音」です。この像は寄木造りの技法を模して各部を別鋳して組み上げています。


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