賀茂神社の現在の姿
前章で引用した「玄松子の記憶」の初めの部分に賀茂神社へのアクセスや境内の様子が書かれています。ネットには賀茂神社の現在の様子についての記事がありますのでそれらを参考に神社の現在の姿を紹介します。
賀茂神社は金沢市から車で40分くらいの場所にあります。境内はとても綺麗にされていて、地元の方から愛されているのが伝わって来る温かい雰囲気の神社だそうです。ご利益は厄除け、雷除け、災害除け、方除け、開運招福、勝運、福徳などだそうです。車で来ると大鳥居の横に無料駐車場があります。大鳥居をくぐり石灯籠が並ぶ参道には砂利が敷き詰められています。手水舎の近くには「平城天皇勅願所」の石碑があります。また境内には明治時代に消防団が使っていた半鐘があります。社殿は平成10年(1998)10月に新築されました。拝殿の中に入って参拝することができます。扉が閉まっている時は開けて中に入ることができるそうです。拝殿の中には賽銭箱やおみくじ、絵馬などが置かれています。御神体の鏡の階段横の4本柱や拝殿上の梁は伊勢神宮からの撒下(さんげ)です。拝殿の天井には、輪島塗の雲龍の絵が掲げられています。これは三谷吾一さんの作品です。絵の中央には神社の紋が描かれています。この龍の指は下絵の段階では3本だったそうですが、出来上がったら5本指になっていたそうです。中国では、昔から龍は皇帝の象徴とされており、5本指の龍は皇帝のみが使用できると定められていて、一般には3本指しか描けなかったということがあります。こちらの5本指の龍はそれだけ位が高いということになります。社殿の横に社務所があり、こちらで御朱印が受けられます。またお札やおまもり、縁起物を授かることができます。
三谷吾一(みたにごいち)さんは、本名が三谷伍市。日本芸術院会員、文化功労者。1919年輪島市(当時は鳳至郡)に生まれ、1933年に14歳で輪島塗の沈金師に弟子入り、1941年沈金職人として独立。1977年輪島塗技術保存会会員となりました。2017年7月12日に肺炎のため金沢市で亡くなりました。98歳。
賀茂神社の拝殿には伊勢神宮の用材が使われているということですが、伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮で全てが一新されます。建物の用材だけでなく装束や神宝が神宮司庁から神社本庁を通じて下附(下げ渡し)されます。これを撒下と言います。賀茂神社に撒下されたのは平成5年(1993)第61回式年遷宮によるものと思われます。
賀茂神社では、1月15日の小正月の9時から15時まで境内で左義長(さぎちょう)が行われます。左義長は正月の飾り物などを集めて焼くことで1年の無病息災を祈る行事です。日本全国で広くみられる習俗です。左義長は三毬杖(さぎちょう)と呼ばれる平安時代に行われていた宮中行事が起源です。三毬杖では、正月遊びで使う「毬杖(ぎっちょう)」という杖を3本立て、正月飾りやお札などと一緒に燃やしていました。この宮中の習わしが民間に伝わり、のちに左義長として広まりました。左義長にはいくつかの別名があり、代表的なのは「どんど焼き」です。この名前の由来は、どんどん燃え盛る火の音を表すという説や火を燃やすときのかけ声に由来するなどの説があります。関西では「とんど焼き」と呼ばれます。どういう呼び方をしても行事の内容は左義長と同じです。
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