賀茂別雷大神の誕生(1)ー上賀茂神社の伝承
下鴨神社の御蔭祭は御蔭神社での祭神の新しい神霊の降誕を迎える御生神事がハイライトです。これは下鴨神社が上賀茂神社から分離したことで、上賀茂神社(分離以前は賀茂社という一つの神社)で行われていた祭神の新しい神霊の降誕を迎える神事に倣って始められました。上賀茂神社でのこの神事が御生神事の原点になります。この神事についてみていきます。まず上賀茂神社の祭神の誕生に関する伝承から話を始めます。
上賀茂神社の伝承です。『釋日本紀』に引用される『山城國風土記逸文』と『賀茂舊記』に基づいています。
太古の昔、神代の時代に、天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢(にぬりや)が降りて来ました。山背國に移り住んでいた賀茂一族の姫である賀茂玉依比売命(かもたまよりひめ、以下玉依姫と書きます)が石川の瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めている時に、上流より流れて来たその丹塗矢を不思議に思い持ち帰り、床に丁重に祀られたところ、矢に籠っていた不思議な力によって懐妊され、立派な御子が生まれました。この御子を当初は御子神(みこがみ)と申し上げました。御子が元服を迎えた時に、御子にとっては祖父に当たり一族の長である賀茂建角身命(以下、建角身命と書きます)が八尋殿(やひろどの)を造り、数多(あまた)の神々をお招きして七日七夜の祝宴を催され、祝宴の席で建角身命は御子神に対し、「父と思う神に盃を進めるように」と言いました。御子神は「我が父は天津神なり」と言って、盃を天に向けて投げ、甍(いらか)を破って雷鳴とともに天へ昇っていかれました。残された建角身命と玉依姫が再び御子に会いたいと願っていたところ、ある夜夢枕に御子が現れ「吾に逢はんとは、天羽衣•天羽裳(もすそ)を造り、火を炬(た)き鉾を捧(ささ)げ、又走馬(そうめ)を錺り(かざり、飾)、奥山の賢木(さかき)を採リて阿礼(あれ)に立て、種々(くさぐさ)の綵色(いろあや)を垂で(しで)、また葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を造り、厳しく錺りて吾をまたば来む」とのお告げを聞き、その御神託に従って神迎えの祭をしたところ、立派な成人の姿となり、天より神として神山(こうやま)に御降臨されたと伝わっており、この御子神が上賀茂神社の御祭神の「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ、以下別雷神と書きます)」であり、そこで祭が始まったことが上賀茂神社の起源である。と書かれています。
別雷神は、建角身命の娘である玉依姫が川から拾ってきた丹塗矢を寝室に置いておいたところ妊娠して誕生したということになります。聖母マリアが処女でキリストを生んだ話を連想させます。この御子が元服した時に祖父の建角身命が多くの客を招き、御子神に自分の父に盃を進めるように言ったところ、御子は自分の父は天津神であると言って天に昇ってしまいます。神を招いたと書いていますが、近隣の有力者を招いたということでしょう。その後、二人は御子に会いたいと願っていると姫の夢枕に御子神が現れ、神迎えのための儀式を伝えます。その神託通りにして御子の降臨を待っていると、成人の姿になって雷鳴とともに神山に降臨され、降臨された神が「賀茂別雷大神」として祀られたのが上賀茂神社(正式には賀茂別雷神社)の始まりであるということになります。
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