現在に受け継がれる聖徳太子の四箇院の制

 『四天王寺縁起』によると、聖徳太子が四天王寺を創建するにあたり、「四箇院(しかいん)の制」を採り入れました。「四箇院の制」とは、悲田院、施薬院、療病院、敬田院です。悲田院は身寄りのない人の救護施設。施薬院は薬草を栽培してその薬を怪我人や病人に与える施設、いわば薬局。療病院は文字通りの病院で、これら三つの施設は社会福祉施設になります。それに対して敬田院(きょうでんいん)は、聖徳太子による、「帰依渇仰(きえかつごう)断悪修善(だんあくしゅぜん)速証無上大菩提(そくしょうむじょうだいぼだい)」、すなわち全ての生きとし生けるものが、仏教に帰依し、仏教を深く信じ、悪を断ち、善を修め、速やかに仏の悟りを得て、その境地に達することのできる場所ということになります。いわば仏教の精神を学ぶ教育機関ということになります。
 四天王寺では、聖徳太子によって創設された「四箇院の制」を現在に受け継いで、太子の精神を活かした施設を運営しています。そのうち敬田院の上述の太子の精神を継承している教育機関が学校法人四天王寺学園です。四天王寺学園は大正11年(1922)の聖徳太子1300周年忌記念事業として創立された四天王寺高等女学校に始まります。この学校は現在の市立阿倍野小学校付近に設けられ、1928(昭和3)年に現在地(四天王寺境内)に移転します。現在は四天王寺中学校▪︎高等学校となっています。女子校です。住所は大阪市天王寺区四天王寺1丁目11ー73。共学の四天王寺大学は羽曳野市学園前3丁目2ー1にあります。昭和32年(1957)に四天王寺学園女子短期大学保健科が設置されてスタート。昭和42年(1967)に四天王寺女子大学が設置され、昭和56年(1981)共学となり四天王寺国際仏教大学と改称。平成20年(2008)四天王寺大学に改称されました。キャンバスへは、近鉄南大阪線の「藤井寺駅」南口、同「古市駅」西口から大学行きの近鉄バスがあります。あべのハルカス23階にサテライトキャンバスがあります。
 聖徳太子が四天王寺に創設した四箇院のうち、悲田院▪︎施薬院▪︎療病院の後継となる施設を運営しているのは、社会福祉法人四天王寺福祉事業団です。本部は大阪市天王寺区四天王寺1丁目11ー18にあり、2023年3月の資本金は86億8962万円。聖徳太子が十七条憲法の第1条に掲げた「以和為貴」の精神を受け継いで福祉▪︎医療分野で20を超える施設を運営しています。高齢福祉施設、障がい者福祉施設、子ども▪︎母子▪︎女性施設などがあり、それらの中には悲田院を名乗る施設もあります。四箇院の中の施薬院や療病院の後継施設として四天王寺病院を運営しています。四天王寺病院は大阪市天王寺区大道(だいどう)1丁目4ー41にあり、内科▪︎血液内科▪︎外科▪︎整形外科▪︎眼科▪︎耳鼻咽喉科▪︎皮膚科▪︎放射線科の診療科目があります。アクセスは地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅4番出口から南へ5分。天王寺駅から北へ10分。市バス天王寺西門前下車東へすぐ。


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