加賀国についての2ー江沼郡、石川郡、加賀郡
越前国からまず江沼郡と加賀郡が分けられて加賀国が成立し、その後江沼郡から能美郡が、加賀郡から石川郡が分離されて4郡になりました。嵯峨天皇の弘仁14年(823)のことです。それぞれの郡が現在どうなっているのか見てみます。
江沼郡(えぬまぐん、えぬまのこおり)は現在の加賀市と小松市の一部になります。加賀市には北陸新幹線の加賀温泉駅があり、山中温泉、山代温泉、片山津温泉という加賀温泉郷の最寄り駅になっています。石川県の南部で福井県に接していますから、越前国府からは最も近い場所であったと言えます。加賀市は昭和33年(1958)に江沼郡大聖寺町(だいしょうじまち)、山代町、片山津町、動橋町(いぶりばしまち)、橋立町(はしだてまち)、三木村、三谷村(みたにむら)、南郷村(なんごうむら)、塩屋村が合併して誕生しました。さらに平成17年(2005)江沼郡山中町が加賀市と合併して、これで江沼郡が消滅しました。加賀市は江沼郡にあった町や村が合併して出来た市ですが、江沼市とは名乗らずに旧国名を市の名前にしています。
石川郡(いしかわぐん)は、加賀国成立後加賀郡の南部が分離されて出来ました。現在の金沢市の中心部にあたり、県名の由来でもあります。金沢城の石川門の名前も有名です。明治11年(1878)に行政区画として発足した石川郡は現在の金沢市の一部、白山(はくさん)市の大部分、野々市(ののいち)市の全域でした。弘仁14年に加賀郡から分けられたときに石川郡と称しますが、その後河南郡と言った時もありました。郡域は手取川(てどりがわ)及び尾添川(おぞがわ)以北、浅野川(あさのがわ)以南になります。手取川は白山を源流として白山市を流れて日本海に注ぐ全長72kmの一級河川。手取川は石川とも呼ばれ、これが県名や郡名の由来になります。手取川の名前の由来は二つあり、一つは源平合戦の倶利伽羅峠の戦いの後、平家軍を追う木曽義仲軍が篠原の戦いを前に、増水した濁流の川を渡るとき、流されないように兵士たちがお互いに手を取り合って渡ったということから。もう一つは氾濫のたびに渡るのに手間取ったから。と言われています。尾添川は白山市を流れる手取川水系の川で、妙法山を水源として延長16.39km。白山市瀬戸付近で手取川に合流します。流域には多くの滝があります。浅野川は金沢市を流れる大野川水系の二級河川で延長約29km。金沢市を流れる二つの河川のうち、犀川(さいがわ)は流れが急であることから「男川(おとこがわ)」と呼ばれ、浅野川は流れが穏やかであることから「女川(おんながわ)」と呼ばれます。
加賀郡(かがぐん)についてです。加賀郡は室町時代になると河北郡の名前が使われ始め、江戸時代の寛文11年(1671)5月4日に河北郡は加賀郡と改称されましたが、元禄13年(1700)8月21日に河北郡に戻されました。
加賀郡の名前が最初に確認される史料は、天平3年(731)の「天平二年越前国正税帳」です。「正税帳(しょうぜいちょう)」は、律令制のもとで国司が毎年太政官に提出する帳簿の一つで、国内で徴収された正税の報告書です。当時は稲作に関わる収入が税の基本でした。その正税の収支決算書が正税帳です。当時の地方政治や財政を知るための基本的な資料です。