御蔭祭(2)ー原点は磐座祭祀その1貴船神社伝承との関わり

御蔭祭は御蔭神社で行われる祭神の新しい神霊(荒御魂と言います)を迎える「御生神事」と、その荒御魂を下鴨神社に遷し、本殿に祀られている祭神の神霊(和御魂と言います)とを合体させる本宮の儀が最も重要な神事になります。どちらも非公開ですから、我々一般人は目にすることは出来ません。ただ御生神事については平安時代の神事の様子が古文書に書かれています。当ブログでは「御蔭祭(3)ー平安時代の御生神事」として数回に分けて紹介します。
現在の御生神事は幕で覆われた拝殿の中で、本殿を前にして神降ろしの神事が行われます。下鴨神社のサイトによれば、本殿の前に磐座があるそうです。この磐座が重要な存在です。平安時代には本殿がなくて、御生神事がオープンで行われました。その様子は「平安時代の御生神事」に書いています。この磐座で神降ろしが行われます。すなわち御生神事の原点は磐座祭祀ということができます。
磐座は東西に二つあるようです。下鴨神社も御蔭神社も本殿が二棟ありますから、それに対応しているということです。西側の磐座を特に「船つなぎ岩」と言います。またこの磐座は湧水の磐座とも言われます。岩の下から水が湧き出しているようです。この磐座が「船つなぎ岩」と呼ばれている由来ですが、貴船神社の伝承に基づいています。
貴船神社の伝承では、神武天皇の母の玉依媛命が黄船に乗って浪花の津(大阪湾)から淀川を遡り、この岩に船を繋いで上陸し、その後玉依媛命は貴船川へと向かい、そこに上陸したということになっています。御蔭神社は高野川沿いにありますが、貴船川は賀茂川の支流ですから、玉依媛命は遠回りして貴船に行ったことになります。玉依媛命は貴船に上陸して、一宇の祠を建て、それが現在の貴船神社の奥宮で、その社殿の下は「吹き井戸」と呼ばれる霊泉になっており清水が湧き出していると言われています。「船つなぎ岩」が湧水の磐座と呼ばれるのと同様です。さらに奥宮の境内には、玉依媛命が乗ってきた黄色い船を覆ったとされる「舟形石」と呼ばれる石組があります。
「船つなぎ岩」が玉依媛命と関連があるという伝承は、上賀茂神社が貴船神社を摂社としたことから生まれたものと考えられます。また、神武天皇の母も、下鴨神社の祭神で上賀茂神社の祭神を生んだのもどちらも玉依媛命です。玉依媛という名前は固有名詞というよりも、神霊が憑依する霊能力のある女性、いわば卑弥呼のようなシャーマンということです。なお神武天皇の母の玉依媛命は下鴨神社摂社の河合神社の祭神です。
貴船(きふね)神社奥宮は京都市左京区鞍馬貴船町182にあり、本宮から歩いて15分です。貴船神社には本宮、中宮、奥宮の3つの神社があり、本宮から奥宮に行く途中に中宮の結社(ゆいのやしろ)があります。祭神は磐長媛命(イワナガヒメ)。コノハナサクヤヒメのお姉さんです。なお貴船は神社の名前は「きふね」、地名は「きぶね」と読みます。
奥宮は貴船神社の社伝によると、反正天皇の時代に神武天皇の母の玉依媛命が黄船に乗って浪花から淀川、鴨川、貴船川を遡って当地に上陸し、祠を建てて水神を祀ったのが始まりと伝えています。媛が黄船で来たことからこれを地名や社名の起源とする説があります。
祭神は本宮と同じ水を司るタカオカミです。境内の本殿横にはこの伝説にまつわる舟形石があります。本殿の下には巨大な龍穴(縦穴)があり、本殿の下ですから見ることはできませんが、文久年間(1861~1864)の本殿修理の際に大工が誤ってノミをこの中に落としたところ、一天にわかにかき曇り、風が吹きすさんでノミを空中に吹き上げたという話が伝わっています。
反正(はんぜい)天皇は仁徳天皇の第三皇子で第18代の天皇。中国の歴史書に書かれた倭の五王のうち「珍」に比定されており、5世紀前半に実在したとみられています。

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