湯神社の境内社ー児守社、三穂社、八幡若宮社

 ウィキペディアによると、湯神社の摂末社として次の神社が書かれています。まずは、神社の公式サイトにもあります「児守社(こもりしゃ)」です。祭神は神大市姫命(神大市比売、かむおおいちひめ)、鎮疫神、河野通広(かわのみちひろ)。この神社は古くは松山城の東麓にありましたが、松山城築城の際に湯神社の末社の河野霊神に合祀されました。河野霊神は一遍上人が父の河野通広を祀るために創建しました。鎮疫神は安政6年(1859)に悪病が流行し、その病気を鎮めるために勧請されました。ここに書かれていることからすると、まず初めに神大市姫を祭神とする「児守社」が現在の松山城のある勝山の東麓にあって、それが松山城築城のために、冠山にあった湯神社(この当時は出雲崗神社に合祀されていました)の末社として鎮座していた一遍上人が創建した河野霊神に合祀され、さらに江戸時代末期に病気が流行したため、その病気を鎮めるために鎮疫神が祀られたということになります。鎮疫神については具体的な神名が書かれていません。一般的には疫病を鎮める神として素盞鳴命が祀られることが多いです。素盞鳴命を祀るのは八坂神社で、祇園さんとも呼ばれ、祇園祭は疫病退散を祈る祭です。「児守社」に祀られる鎮疫神が素盞鳴命であるかどうかはわかりません。本来の「児守社」の祭神であったと思われる神大市比売は『古事記』にのみ登場する女神で、父は大山津見神。須佐之男命の妻となり、大年神と宇迦之御魂神(稲荷神)を産んでいます。この2柱の御子神はどちらも農耕に関係のある神であり、神大市比売も農耕神、食物の神として信仰されています。神名にある「神」は神霊の発動の激しいことに畏敬して冠する接頭語、「大」は「偉大▪︎立派」、「市」は物々交換するために人が集まるところを表し、それらを総合して「神大市比売」の神名は「神々しい立派な市」を意味すると言えます。このため市場の守護神として信仰されています。そういうことからすると、この神を祀っていた元の鎮座地(勝山の東麓)には市場があったのではないかと思われます。「神大市比売」は神社の祭神として祀られるときには「大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)」の神名で祀られることが多いです。「児守社」という社名は安産▪︎子育ての神を祀るというイメージがありますが、それが市場の守護神とどういう関係があるのか疑問です。もしかすると最初は安産▪︎子育ての神が祀られていたのかもしれません。
 三穂社(みほしゃ)は、事代主命と蛭兒命(ひるこのみこと)を祀ります。どちらも恵比須神として知られます。事代主命は大国主命の息子で、国譲りの神話に登場します。蛭兒命は、水蛭子、蛭子神、蛭子命、蛭児神とか書かれます。『古事記』の国生みで最初に生まれますが、不具であったので葦船に入れて流されました。蛭子神が流れ着いたという伝承は各地にあります。兵庫県の西宮神社の祭神です。「みほ」の社名のある神社として知られるのに「美保神社」があります。美保神社の祭神は、三穂津比売命と事代主命です。鎮座地は島根県松江市美保関町(みほのせきちょう)美保関(みほのせき)608。湯神社の境内社の三穂社も三穂津比売を祀っていたかもしれないです。
なお「三穂社」は舒明天皇が行幸した際に祀られたと伝えられています。
 「八幡若宮社」の祭神は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)。すなわち仁徳天皇です。仁徳天皇は八幡神とされる応神天皇の息子ですから、八幡神の若宮ということになります。鷦鷯は「みそさざい」。ここでは、白鷺ではなく「みそさざい」が登場しています。


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