禅児か禅師か?(2)
「禅児か禅師か」の続きです。「修験道指南金少(金へんに少)(しゅげんどうしなんしょう)」には、熊野十二所権現の本地仏の他に、それに関連した神の本地仏が書かれています。「修験道指南」には、「満山護法(新宮)、本地弥勒(智証大師顕之也)。礼殿執金剛(本宮)、本地八字文殊(智証大師顕之也)。湯峯(本宮)、虚空蔵(婆羅門僧正顕之)。神蔵(新宮)、愛染明王(伝教大師顕之)。阿須賀(新宮)、大威徳明王(智証大師顕之)。飛瀧権現(那智)、千手(裸形上人顕之)。凡本宮、本本地、新宮宗垂迹、那智本迹不二也云々。又云、熊野三山者、法報応三身也俟、或日本第一大霊験所根本熊野三所大権現云々。凡漢家祖廟大廟本朝天神地神、未有尊自熊野。権現之垂迹、無先自熊野之霊崛云々、倩来之、熊野之権現者、或本朝宗廟、或西天大祖、又伊弉諾•伊弉冊•天照太神、御同体、皆上記因茲得日本第一佳名者也」。難解な文章ですね。初めに、満山護法(新宮)、本地仏の弥勒菩薩は智証大師が感得したとあります。「まんざんごほう」と読みます。仏法や仏教徒を守護する神が山々に満ちているということで、この満山護法の社殿が速玉大社にあったということです。礼殿執金剛(本宮)は、「らいでんしゅうこんごう」と読みます。礼殿とは拝殿のことで、拝殿を守護する金剛童子で千手観音の眷属。本宮に祀られていて、本地仏の八字文殊も智証大師の感得。本宮の湯峯王子は本地仏が虚空蔵(こくうぞう)菩薩で婆羅門僧正の感得。新宮の神倉山の本地仏は愛染明王で、伝教大師の感得。新宮の阿須賀神社の本地仏は大威徳(だいいとく)明王で、智証大師の感得。那智の飛瀧権現の本地仏は千手観音で裸形上人の感得とあります。飛瀧権現は那智の縁起に準拠しています。こうしてみますと、十二所権現だけでなく多くの神に本仏仏が設定されているのが分かります。また本地仏を設定した人として智証大師の名が多く登場します。智証大師は熊野信仰にとってとても重要な人物です。説明は別の機会に譲ります。次に書いてあるのは、本宮が基本であり、新宮は垂迹神の元であり、那智は本地と垂迹が一体になっているということ。熊野三山は法報応そのものであり、日本第一大霊験所として日本の神々の始まりであり、伊弉諾、伊弉冊、天照大神は同体で、日本で第一に有名な神社であるとしています。ここでも伊勢熊野同体説が顔を出しています。仏教用語を簡単に説明します。八字文殊(はちじもんじゅ)ですが、文殊菩薩と言うと「三人寄れば文殊の知恵」と言うように頭の良い仏で、それにあやかろうと受験生が参拝しますが、八字文殊は、いろんな災いを避けるために修する八字文殊法の本尊です。真言が八字なので八字文殊。法報応は三身(さんじん、さんしん)といわれ、仏の3種類の身のあり方。法身(ほっしん)は、宇宙の真理としての仏の本性、報身(ほうしん)は仏となったことで得られた属性、応身(おうじん)は人びとの苦悩を救うために現実に釈迦として姿を現したことを言います。「修験指南」に書かれていることが中世修験道の熊野権現に関する共通認識であったと言えます。熊野の神と本地仏は難解ですから、お疲れ様でした。これは私自身にも言えます。