伊豆七不思議ー函南の「こだま石」

函南のこだま石(かんなみのこだまいし)は田方(たがた)郡函南町(かんなみちょう)平井(ひらい)の山中にある大きな岩にまつわる江戸時代から伝わる伝説です。
昔、百姓の与助とおらくの夫婦と一人息子の与一が暮らしていました。与助は北条氏の出城であった山中城にかり出され行方知れずになりました。おらくは与助が亡くなったことが信じられずに日を送っているうちにどんどん貧しくなっていきました。それを不憫に思った養徳寺の和尚さんは、おらくに「この平井で出来た野菜を熱海で売れば少しは暮らしが楽になるだろう」と言いました。おらくは「はい。足腰の十分なうちにうんと稼ぎます」と答えました。おらくは日金山を越えて熱海で野菜を売り、やがて与一を連れていくようになりました。日金山を越えるとき、おらくと与一は函南の大きな岩にもたれて一休みしながら語り合うのを楽しみにしていました。二人の暮らしは楽になり、里では仲の良い親子として知られるようになりました。ところが、おらくは無理がたたったのか病気になり、与一の看病の甲斐もなく亡くなってしまいました。与一は悲しみのあまり、母と共に語らった大岩に向かい、声を限りに「おっかー、おっかー」と呼びかけました。すると岩の底から「与一や、与一やー」と母の声がこだましてきました。来る日も来る日も懐かしい母の声を聞きに行く与一に村人は心を打たれ、この岩を「こだま石」と呼ぶようになったということです。
この親子が函南から熱海に越えた山道の下には、東海道本線の丹那(たんな)トンネル、東海道新幹線の新丹那トンネル、さらに熱函(ねっかん)道路が通じています。昔も今も熱海と函南を結ぶ重要なルートです。丹那トンネルは難工事の結果、昭和9年(1934)12月1日に開通しました。全長7804m。国鉄の民営化でJRが発足して東海道本線がJR東日本とJR東海の管轄に分かれました。その境界は丹那トンネルの東口付近(熱海側の来宮駅電留線の上り場内信号)になり、したがって丹那トンネル全体はJR東海の資産になりました。新丹那トンネルは丹那トンネルの約50m北にあり、戦前の弾丸列車のために昭和16年(1941)に工事が始まりましたが、戦況の悪化で中断していたのを新幹線のために昭和34年(1959)に工事が再開されて昭和39年(1964)に完成しました。全長7959m。東海道新幹線の全体の起工式は熱海側坑口前で行われました。また函南町には「新幹線」という場所があります。ここに工事の従業員宿舎が建てられ、トンネル完成後は住宅団地になりました。住所は函南町上沢(かみざわ)です。
ここに「新幹線公民館」があります。熱函道路は長さ7.6kmの県道11号のパイパスで有料でしたが現在は無料。
函南町の名前は箱根(函嶺とも言います)の南に位置することから付けられました。人口約36000人。
「こだま石」の伝説に出てくる「日金山」と「養徳寺」です。まず「日金山(ひがねさん)」は一般的には「十国峠(じっこくとうげ)」で知られています。熱海と函南にまたがり、中世には走湯権現(伊豆山神社)と箱根権現を結ぶ信仰の道となりました。伊豆では「亡くなった人の霊魂は日金山に集まる」といわれ、春と秋の彼岸頃に日金山に登ると、道行く人の中に会いたい人の後ろ姿を見ることができるといわれています。ここには、高野山真言宗の「日金山東光寺」があります。住所は熱海市伊豆山968。この寺へのアクセスは、熱海駅から元箱根行きバス約40分、十国峠登り口下車ケーブルカーで十国峠山頂駅から徒歩15分。「養徳寺(ようとくじ)」は山号が「福翁山(ふくおうざん)」といい、臨済宗円覚寺派の寺院で、本尊は十一面観音。住所は函南町平井1126。アクセスは函南駅から徒歩約25分。函南駅から畑毛温泉行きで平井バス停から徒歩3分。

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