熊野権現御垂迹縁起(3)

さて、石淵(いわぶち)の谷で熊野三神が初めて祀られました。誰が祀ったかは縁起には書いてません。本宮に移った時、初めて祀った人の名前が出てきます。熊野の神は石淵から移られて本宮の大湯原(大斎原)のイチイの木の梢に三枚の月の姿で降臨します。八年が経過します。石多河(いわたがわ、岩田川)の南、河内(かわうち)の住人、熊野部千與定(くまのべのちよさだ)という犬飼(猟師)が体長約4m50cmの猪を射って跡を追います。石多河を遡り、大湯原のイチイの木の下で死んでいる猪を見つけてその肉を食べ、木の下で一夜を過ごします。猟師は梢に三枚の月があるのを見て尋ねます。「空にある月がどうして木にあるのですか?」。三枚の月の一枚が答えます。「私たちは熊野三所権現と言い、一社は證(証)誠(しょうじょう)大菩薩、あとの二社は両所(りょうしょ)権現と言います」。そこで熊野部千與定は祠を建ててお祀りをしたということになります。縁起では大湯原とあります。本宮の旧社地で、現在は大斎原と書きます。明治22年の水害までここに鎮座していました。熊野は、(くまの)とも(ゆや)とも言われます。また、本宮の例大祭の初日に行われる神事が湯登り神事と言い、湯峰王子で神事が行われます。本宮には湯立(ゆたて)神事に使う大湯釜もあることから、本宮は湯に関係のある神を祀ったのではないかという説があります。各地の熊野神社でも湯立神事を行っている神社があります。頭のどこかに入れておいてください。ここに書かれていることを補足します。
まず、イチイの木です。一位、櫟ともかき、イチイ科の常緑針葉樹で、名前の由来はこの木で神官の笏(しゃく)が作られるので、仁徳天皇が正一位の位を与えたと言われます。ちなみに熊野の神の御神木はナギです。岩田川は現在の富田(とんだ)川で、西牟婁郡上富田町に岩田という地区があり、そこから滝尻までを岩田川と呼んだそうで、熊野詣での人はこの川の中を歩いたそうです。そうすることで、あらゆる罪障が消えると信じられ、義経記にも日本で二つとない聖なる川とあります。文献上の初見は、弘仁12年(821)に智証大師円珍が通った記録だそうです。千與定も川の中を遡ったのでしょうか。熊野には三体月の伝承があります。昔、熊野で修行していた修験者が村人にこういうことを言いました。「11月23日の月が出た時、山頂で法力を得た。村の人もこの日には山に登り月の出を拝むがよい。三体の月が現れるであろう」。そこで村人は翌年の11月23日に山頂に登ったところ、月の左右からさらに一体ずつの月が現れ、三体の月が見事に登ったという。それで毎年旧暦の11月23日に月待ちの行事を行っています。興味のある方は熊野本宮観光協会に問い合わせてください。「幻の三体月観月会」です。旧暦ですから、勤労感謝の日ではありません。12月です。自然現象ですから、見られることが保証されているわけではありません。それで「幻」。見られたら何かいいことがあるかも。南紀と言っても山の中、夜遅くですから、防寒対策を忘れないように。

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