私の話には「わくわく」が足りない
昔から、私の書く文章や私のする話は「おもしろみに欠ける」と言われることが多かった。
まじめすぎるのだ。
自分でもそれは自覚している。
その最たるものは大学4年生の時の教育実習。
古文の授業を担当させてもらった。
まじめな子が多かったので、授業はきちんと聞いてくれていた。
それでもなんだか手応えはなかった。
「この授業で作品の、教科の面白さを伝えられているのか」という疑問が常にあった。
とどめを刺されたのは、同級生の実習生が教える現代文の授業を見学した時。
彼がつくる笑いあふれる教室に身を置いて、自分には教える才能がないのだと痛感した。
今なら、いろいろな教え方のスタイルがあって良いと思える。
相性というものもやっぱりあるので、多様な先生がいるからこそ、多様な生徒たちが活きるとも思っている。
それでもやっぱり「もうちょっとわくわくする伝え方ができるといいよね」なんてフィードバックをもらった日には、この古い記憶が引っ張り出されて、ちょっとだけ心が疼くのだ。
自分の「わくわく」ってどうすれば伝えられるか。
どうすれば人を「わくわく」させるような話ができるのか。
ずっと私について回っている、いまだに答えを見つけられない問いである。