できないことを数えて嘆くより、できることに向き合って進みたい
テレビにもインターネットにも情報が溢れています。
相反する情報もあったりして、何を信じていいのか分からないこともあります。
自分に何ができるのか、そもそも何をしたらよいのか分からない状況に心が揺さぶられます。
それでも、目の前にいる人たちとの時間は確実に「いまここ」にあって、遠くに想いを馳せながらも、自分にできることに向き合って過ごしたいと思いながら、今この文章を書いています。
学校で「勉強」していると、何事にも「正解」があると思いがちですが、今のように変化する社会においては、そのときどきで、そこにいる人たちと「その時点での答え」を見出しながら進んでいくしかないと思うのです。
想いを書くことについて
書いたことは、話したことと違って、いつまでも残ります。
自分の想いが必ずしもいつまでも変わらないものではないと思うと、書くことがためらわれたりもします。
それでも、書くことは「その時の想い」を留めているのであって、残したものを見返すことでその変化をも味わうのだと思うと、書くことの意味がまた別のところにも生まれてくるような気がするのです。
だから、私はこうして書くのだろうと思います。
ちなみに、表紙の写真は苔。
桜を見上げながら、ふと足元に目をやったときにそこにありました。春の息吹は小さなところにもあるのですね。