「やってみればって、応援したいんです」。皆でつくる町を目指して【おもせ〜ひと vol.13】
福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。
13人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、福島県大熊町在住、東京電力にお勤めされている金井さんです!
金井さんを紹介してくださったのはこの方▼
金井さんも、愛場さんが所属されている「平馬会」(平馬会について、詳しくは愛場さんの記事をご覧ください🔍)のメンバーのお一人だそう。
東京電力の社員として、廃炉作業に携わりながら、地域のお祭りやイベントに、積極的に参加されている金井さん。
「面白そうなことにはなんでも顔を突っ込む」タイプだそうです。
そんな金井さんがお祭りやイベントに積極的に参加する背景には、「頑張る人を応援したい」「みんなで一緒に町をつくりたい」という思いがあるそうで…。
東電でのお仕事のことや、地域の一員として町づくりに関わっていきたいというお気持ち、若い世代へ寄せる思いなどについて、お話を伺いました!
東電での仕事
「その時は、廃炉のことだけを考えていました」
-簡単に自己紹介をお願いします。
金井:金井です。東京電力の社員で、原発の廃炉の仕事をしています。
2011年の原発事故前は1F(いちえふ:福島第一原子力発電所)には7年、2F(にえふ:福島第二原子力発電所)にも2年いました。
元々、双葉郡の大熊町や双葉町、富岡町にも住んでいたことがあるんですけれど、今は大川原の宿舎に住んでいます。
-今はどんなお仕事をされているのですか?
金井:廃炉設備の管理ですね。現場に入ることもありますけども、ほとんどはまとめ的な仕事。工事の安全面とか、スケジュールとか、そういったものを管理しています。
-震災当時はどちらにいらっしゃったのでしょうか?
金井:震災の時には、たまたま福島にはいなかったんですね。たまたま他のところに出向してまして。
震災が起こった時、私がいたところも地震で揺れたんですね。それで、みんなで集まってテレビを付けた時に、ちょうど津波が福島の大地を襲う画面が出ていまして。「これは(原発の)冷却が止まるんじゃないか」って話をしていました。
そして、ちょうど爆発事故が起こったときには、家族と家でテレビを見ていて。「ちょっと行かないと駄目かな」って話をうちの家族にしたら、「行っていいよ」と言われたので。それからずっと1F行きたい、1F行きたいって言っていて。2年くらいしてやっと来れました。そうして、大熊町に戻ってきたのが9年前…2013年ですね。
-「1Fに行きたい」というのは、廃炉に関わりたいという思いがあったのでしょうか?
金井:はい。その時は、廃炉のことだけを考えてました。やっぱり、知り合いがいっぱいいますから。みんなのことも町のこともすごく心配で。大熊にあったあのお店はどうなってるだろうとか。
「行きたい」と言っても、お前は今の場所でやることをやれと。後で声かけるからそれまで待ってろと言われたんですが、それでも行きたかったですね。大熊町への異動が決まった後、上司から呼び出されて、残ってくれないかと言われたんですけど。どうしても福島に行きたいのでって。
「東電は嫌いだけども、金井さんは好きだから」
-いかがですか?今、お仕事をされていて。
金井:今までと、普通の発電所の環境と全然違うんですよね。あんな重装備で入るのはごく一部だし、放射線の量も汚染も全然違う。
ただ、来てよかったかなとは思います。段々工事が進んでいくところも見れますし、本当に少しずつですけど、町が復興していくところもずっと見てきてますので。それを見ることができたのはよかったなと。まだまだですけどね。
-東電の方ということで、肩身の狭い思いをされたことはありませんでしたか?
金井:初めはありました。まずはすみませんでしたと、ごめんなさいと、いつも言っていたんですけれども。お前のせいじゃないだろうとか、そういうこと言ってくださる方がいて。
よく一緒に飲んだりとかしてくれてるいわきの友人がいるんですけど「東電は嫌いだけども、金井さんは好きだから」って言ってくれるんですよね。
そういう人に支えられてるというか。そう思っていただいているのがありがたいなって。
でもやっぱり、まだ避難されてる方もいますし、まだ町に戻って来れない方、あと大熊町の復興住宅に住んでるけれど実は大熊町の別のところに家があって、そこには帰れない方も。うちの職場でも、家が放射線量が高すぎて、解体さえもできないって人もいて。
そういう方々の思いを考えると、偉そうなこと言えないというか、その思いを受け止めていかないといけないのかなと思いますね。
金井さんとお祭り
みんなで町をつくっていくことの重要性
-金井さんは、お祭りがお好きだと伺いました。
金井:そうですね。祭りというか、みんなで集まってワイワイやるのが基本的に好きなんですよね。子供の頃から、盆踊りとか、花火とか、縁日みたいなのが大好きで。
富岡町にいたときには、神社のお祭りとかいつも参加して、風船釣りとか、町の人たちと一緒に店出してやってましたね。
-この地域のイベントやお祭りにも、参加されることは多いのですか?
金井:何でも参加してます。とりあえず何かあると行く感じですね。
今大熊町で住んでいる人で、元々住民票があった人っていうのはごくわずかなんです。100何十人。あとは新しく住民票を取った人と、住民票は持ってないけども、外から来て住んでいる人と、1,000人ぐらい町に住んでいるんですが、そのうち100何十人しか元々住民票がある人がいない。
ということは、もうその人たちだけで町づくりをするっていうのは不可能だと思うんです。だから、そういった新しく来た人たちと、住民票はないけども大熊に住んでる人たち、あとは多分、仕事のためにいわきとかから通ってきている人たちもいると思う。そういった人たちも協力していかないと、町づくりははできないんじゃないかなと思いますね。
色々イベントをやっても、やはり外から来てる人が参加しないと成り立たないですし。そういった人にもっと色々参加してほしいなっていう。
-大熊町には廃炉関係の仕事をされる方も多く住んでいらっしゃいますよね。
金井:そうなんですよ。だけども、なかなか出てきてくれない。きっと、事故を起こしたっていうところで、一歩引いてるところがあると思うんです。
でも、例えばこの前の「なつ祭りinおおくま2022」のときも、お祭りに来たりとか、食べ物買ったりとか、そういった意味で参加している人は結構いるみたいなんです。
ただ、それだけじゃなくて、「何かをやる」という方向の人は、まだあんまりいないんですよね。
-その中で、金井さんは「平馬会」をはじめとして、町の団体やイベントに参加されたり、地域にも積極的に関わっていらっしゃいますよね。
金井:面白そうなのがあると、何でも顔突っ込んじゃうんですよ。
震災の前にも、職場と地域の人たちの繋がりってのは普通にあったんですね。運動会に一緒に出たりとか、祭りで一緒に金魚すくいの出店を作ったりだとか、盆踊りをやったりとか。
そうやって、やっぱり町の人と、東電の人と、新しい人と、みんなで一緒になって町をつくっていく必要があるのかなと。それでなるべく色んなものに参加したいなと思っているんです。ちょっとでも応援したいんですよね。
もうこっちでできている繋がりは大体、飲み屋でたまたま隣になった繋がりか、それともイベントに参加してできた繋がりか、ですね。
色んなところで色んな人との繋がりができて、またそこから新しく人の繋がりができていくってのが面白いです。
これからの大熊町
「『町の人の手作り感』があるといいですよね」
-今後、大熊町に対して、どんな町になって欲しいと思いますか?
金井:難しいですよね。残念なんですけど、昔の大熊町に戻ることはできないんですよね。もう商店街もなくなっちゃいましたし。
それでも、やっぱり元から住んでいる人たちの文化をきちんと大事にしていく。古いものはなくしちゃいけないと思います。お祭りの太鼓とか、熊川の稚児鹿舞とか。
その一方で、新しいものとも融合していく、古いものを生かしながら新しいものを取り込んで、町をつくっていくっていうことが大事なのかなと。
例えば、9月に行われた「なつ祭りinおおくま2022」の中で開催されたアートフェス、「くまフェス」。はじめに打ち合わせをした時には、外から人を呼ばない?って話も出ていたけれど、結局は音楽連盟とか、大熊出身のロックバンドとか、大熊にゆかりのある人が来たんですよね。そっちの方が良かった。
そうやって、外からのものだけで作るんじゃなくて、中にあるものでつくった「町の人の手作り感」があるといいですよね。
-金井さん個人として、これからの町でやってみたいことは何かありますか?
金井:大熊の梨を食べたいですね。大熊で作られた梨。本当に美味かったんですよ。いわきとかでも梨を作ってましたが、やっぱり大熊の方が美味しい。浜通りでは結構いるんですよ、大熊の梨うまかったよねって話をする人が。
-そんなに話題になるほどおいしかったんですね。
金井:そうなんです。ただ、やっぱり難しいんですよね、キウイフルーツだと、3年か4年ぐらいで実がとれるらしいんですが、梨はもう10何年たたないと、増えてからきちんと安定して実が取れないそうです。
だから、梨を食べるためには本当に時間をかけて取り組む必要があるんですよね。でも、やっぱり大熊の梨を食べたい。
「やりたい」人の背中を押したい
金井:今、町には、こういうのをやりたい!っていう若い人たちがすごくいっぱいいるんですよね。自分がどうこう動くっていうよりは、そういう頑張ろうとしている人たちを、大人としてバックアップしていく、応援していくってことができればいいなとは思ってます。
やっぱり、年を取っちゃうと頭固くなっちゃって、こんなことできるわけないとか、面倒くさいとか思っちゃうところがあるけれど、10代20代くらいってそういうのがなくて、これをやってみたいとか、面白そうだっていうことを、そのまま突っ走るパワーがあるんです。
それを見るのが楽しいですね。やっぱり「平馬会」のメンバーもね、若い人がいっぱいいて、次の大熊町を担う世代だし、応援したいなって。
-そうやって、若い世代を応援したいという気持ちは、どこから湧いてくるのでしょうか?
金井:自分があんまり若い頃、そういうことをしなかったからかもしれない。だからこそ、いいよいいよ、やった方がいいんじゃないっていう感じで応援したいっていう。
うちの子どもは大学を休学して、海外に1人で行きたいって言い出して。みんな反対して、お父さん止めてよって言われたけど、「いや、いいんじゃない?」って。「向こうでのたれ死んだら本人の責任じゃない?」って言ったら怒られちゃった(笑)。
でも、やりたいっていう気持ちは、やっぱり応援しないとって。いやそんなの無理だっていうふうに押し潰したくはないんですよね。それができるのは若い時だけなんですよ。
だから、やってみればって言って、応援したいんです。
-最後に、読んでいる方へメッセージがあればお願いします!
金井:大熊町は、いろんなことが試せる場所。どんどん新しいことを試せて、それを受け入れてくれる町なのかなと。
ただ、新しいものだけ持ってきてもだめで。古いもの、町に元からあるものを大事にしながら、それを新しいものと融合させていくことができればいいのかなと。
祭りにしても、外からのものだけで作るんじゃなくて、中にあるものでつくった、「町の人の手作り」っていう感じがあるとすごくいいなと思います。そうやって、新しいものを取り入れながら、町の人たちと協力しながら作っていくみたいなところができればいいですよね。
編集後記
地元の人だけではなく、町に関わる人みんなで、一緒になって町を作り上げることの重要性についてお話ししてくださった金井さん。
言葉だけではなく、実際に金井さんご自身が、町内のイベントに率先して参加して、大熊の町づくりを担う一員となっていることがとても素敵だなと感じました。
私たちも、昨年の9月に大熊町で行われたお祭りでは、とても楽しい思いをさせていただきましたし、大熊町を離れてしばらく経った今でも、あのお祭りのあたたかさや空気感を思い出すことができます。
お祭りにとどまらず、人と人とがつながり、町を盛り上げていくための機会を作ってくださる方がいることに感謝しながら、今だからこそ持てる"若いパワー"を大切に、日々過ごしていきたいと思います。
インタビュー:殿村・中井
編集:殿村
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