昔の熊野テニスクラブの仲間とテニスを楽しみました。生きる喜びを味わった瞬間です。ホモルーデンス。
昨日は一日中雨が振りましたが、今日は晴れ。心地の良い秋晴れです。典型的な秋晴れと言っていいでしょう。気温もまだそれほど下がらず、過ごしやすい日です。
10月24日、日曜日は妻の実家への里帰りに付き合い新鹿へ行きました。その時の午後、昔の熊野テニスクラブの仲間に以前バッタリ会って聞いていた今のテニスクラブの活動場所へお邪魔をしました。南牟婁郡御浜町阿田和の寺谷総合公園のテニスコートです。今のクラブはラブフィフティーンとかいうそうで、4面あるテニスコートの3面を使って、ゲームをしていてもまだ待っている人が3〜4人いるという盛況ぶりで、皆さんのレベルも高く、盛んなクラブでした。昔の熊野テニスクラブの知り合いが、3人いて、高校の教員として知っていた人や、一緒に試合をしたことがあって知っていた人とがいたりして、私が入ることによってゲーム機会を少し奪われるにも関わらず、快く受け入れてもらいました。私の知人だけでゲームを2セットさせてもらえて、大変楽しいテニスができました。同級生に三重県新人大会で優勝したことのある人がいて、私とその人を含めて同級生4人で2セットゲームをさせてもらいました。1つ目は6対3で負けました。2つ目は強さのバランスを変えて、ゲームをしたところ、6ゲーム先取の5対5になりラストゲームも40オールのノーアドバンテージポイントになって、結局まけましたが、充分ゲームを楽しみました。
テニスのことなのですから、知らない人とでもゲームできそうなものですが、初日でもあったし、馴染みがないので、知らない人とは交じることができませんでした。私としては既知の人とテニスができたことに満足し、とても楽しめました。またお邪魔をしたいところですが、私が行くのは邪魔でしょうね。また来いと言ってくれていたようですが。ダンロップのFORTというテニスボールの公式球を2個入り2缶持っていきました。良かったかな。使っていたボールはHeadのPROというボールでした。知らなかったとはいえ、ダンロップFORTを持っていったのは生意気だったかな。
結局、その日は昔の仲間とテニスを楽しむことが私の目的でした。その後、妻の実家へ帰って、風呂に入り、いつものように酒を飲んだのです。いつもと違って、妻が白ワインを買っていたので、白ワインを中心に飲みました。私の喜びはテニスをすることと、酒を飲むことなのです。ヨハン・ホイジンガという人に「ホモ・ルーデンス」という言葉があります。人間は遊ぶ存在である。という意味だそうです。遊びの形式的特徴と機能的特徴として次の項目が挙げられています。
① 自由な行為である
② 仮構の世界である
③ 場所的時間的限定性をもつ
④ 秩序を創造する
⑤ 秘密をもつ
これが遊びの5つの形式的特徴。さらに機能的特徴として「戦い(闘技)」と「演技」を挙げる。
『梁塵秘抄』にも「遊びをせんとや生まれけん」という言葉があります。人の生きる目的は遊ぶことであるという設定もあながち否定できません。「気晴らし」であると設定するよりも積極的であるような気がします。私は「喜びを味わうため」としました。「遊び」と言うと余興的で中心から外れた補完の印象がありますが、楽しく収入を得て生活することができればそれに越したことはないのです。好きなことをして生活ができることが素敵なことです。楽しくなければ続けていくことはできません。仕事でも工夫して、楽しんで、収入を得ることが大切です。楽しいことばかりではない仕事もあるでしょう。しかし、楽しめるようにすることが必要な気がします。楽しみのある仕事と、経済が分離するとそこに齟齬が発生します。生活や生きることが喜びではなくなります。「人間とは遊ぶ存在である」という言葉には人間が生きる目的は喜ぶことであり、楽しむことであるという意味が含まれているような気がします。
その楽しみは人それぞれでしょう。今嬉しいのではなく、苦しい努力の先に喜びがあるのかもしれません。金メダルを取ることが喜びかもしれません。ノーベル賞を取ることが喜びかもしれません。今のは喩えですが、今の努力を乗り越えて、将来の目標を達成することも自分で生きる目的と選択すればよいのです。また、遠い目標を決めるだけではなく、来月の目標、来週の目標でもよいでしょう。そして今日の楽しみでもよいのです。喜びを味わうことには様様なレベルがあります。それぞれのレベルの喜びを味わうことが生きる意味だと考えてよいと思います。
喜びを味わうことが生きる意味何を味わう何を喜ぶ
遊びせんとや生まれけんテニスして走り汗かき笑う喜び
今生きてもの食う美味さ味わえばただそのことが生きる喜び