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「三体」は役に立つのか

楽しい本を読んだら人に話をしたい欲望がもったりとある。
個人的な体験として、胸に秘めているのはcoolだけど、でもでも話したい。

単に考えすぎなだけかもしれないけど、「最近何か本を読みましたか?」とは、あまり他人に聞けない。何食べた、何か映画見た?などと比べても、インナーコアに触れる気がするし、本は学習機能も備えているようなイメージから、意図してない受け取りがあったら嫌だなという自己防衛も働いてしまう。

さらに考えすぎは加速し、枕詞で「本に書いてあったんですけど・・・」とソースが本を明かすのも少しだけ気が引ける。Twitterに書いてあった、だとかWikipediaに書いてあったんですけど・・・から匂い立つマヌケさが重要だ。

その点、映画館でみた「コカイン・ベアー」は見事だった。
コカインを喰ったクマが凶暴化して人を襲ってくるという、内容の映画だ。観ないわけにはいかない。
オープニングからズバッとコメディが効いていた。
凶暴化したクマの映像を背景に、ナレーションでクマの生態を説明、そして最後に「出典:Wikipedia」と字幕に出るのだ。劇場でも軽い笑いが起きていた。
このマヌケさが重要だと考えている。

三体について

三体は特殊だった。三体は自然と周りに読んでる人がちらほら居た。
これだけのSF小説だ、射程距離が広い!

登場人物のカップリングの意外性に言及する人、軍事作戦のユニークさに舌をまいたという人、自分だったらどうしよう?!と想像する人、と多種多様の感想が楽しかったし、物語の大スペクタルにはみんな同じく感激していて、大変良かった。
(わたしは、ボンクラが地球を救った!というカタルシスを熱心に話していた気がする。)

さらに、Netflixでドラマ化したことで、ドラマを通しての話題も増え、原作との違いを意気揚々と話してる自分は滑稽だったような気もするが、とにかく楽しかった。

三体は読んで楽しい、話して楽しい、役に立つ本だった。

三体のストーリーは圧倒的なテクノロジーを持つ異星人を前に人類がどう対処するかのSFだ。
はじめて読んだ時、類似点の多いアーサー・C・クラーク「幼年期の終わり」を思い出した。
これも思い出のある小説で、ぼんやりとしか内容を覚えてないわたしと、これまたぼんやりとしか覚えてない上司で「幼年期の終わり」のあらすじを言い合ったことがある。微妙に噛み合わないストーリーがぶつかり合い、読書というのは個人的な体験なんだって改めて思った。

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