音楽:「エイミー・ワインハウス」~奇跡の歌姫の死が伝えた「本当の愛の形」
2000年代に彗星のごとく音楽シーンに登場し、目も眩むような一瞬の輝きを放ち、27歳という若さでこの世から没した、イギリスの、奇跡的な歌声と天から授かった才能としか言えないソングライティング能力を持ち合わせていた、
「エイミー・ワインハウス」
という伝説の女性シンガーソングライターがいました。まず、彼女の代表曲をご紹介しておきます。
●エイミー・ワインハウス - リハブ~バック・トゥ・ブラック(LIVE):
そして、彼女の生い立ちから、スターダムまで上り詰めた裏側、そして死を迎えるまでを、残された大量のプライベート・ビデオと関係者の証言を中心にして制作された「エイミー」というドキュメンタリー映画があり、ありとあらゆる賞(アカデミー賞、グラミー賞、MTV映画賞など)を受賞している、(あらゆる意味で)優れた映像作品があります。その映画の予告映像もご紹介しておきます。
●ドキュメンタリー映画「エイミー」予告映像:
数年前に、私は、妻とこの映画を観たのですが、私も物凄い衝撃だったのですが、妻は私にも増して衝撃を受けたらしく、その後から海外のアーティストを(ニュースなどで)みる度に、
「この人の心身は大丈夫だろうか?」
と心配になってしまう体質になってしまった程です。
アーティストのドキュメンタリー映画(映像)というのは、昔からかなりあるのですが、昔のものだとビデオ自体が大きくて「携帯」出来ないので、「本当」の「プライベート」の映像というものは(ほぼ)見られず、見られるようになったのは家庭用ビデオが普及したここ30年そこそこだと思います。なので、アーティストのプライベートや裏側を捉えた映像を大量に用いた映像作品を観たのは(昔の音楽が特に好きということもあり、そういった時代の映像を観ることが多く)、この「エイミー」が、おそらく最初の体験であったことも、衝撃を受けた一因だったと思います。
これは、私の持論なので、いくらでも否定していただいて大丈夫なのですが、人を惹きつける魅力を持ったクリエイターというのは、だいたいにおいて(才能を持ち合わせた)「変な人」だと思っています。
この「変な人」というのは、バカにしたり差別している訳ではなく、その逆で、「マジョリティーと違う何かを持つ人」という尊敬の気持ちで、その「人と違う何か」にこそ人の心を動かす価値のある思想・価値観・創造性があると思う、という意味です。
(普段は普通の人だけれど、クリエイティビティを発揮するときだけ「変な人」になれる器用な人もいると思うのですが、そういった方は、とりあえず含みません)
(また「普通」であることが逆に「魅力的」であるアーティストもいるとは思います)
そして「変な人」なので、人から正しく理解されなかったり、対立したり、孤独になったり、そういった多くのコンプレックスのはけ口が、ミュージシャンであれば「音楽」であると思っています。
そういった意味で、エイミー・ワインハウスは、超ド級の天才であることに比例して、(表向きは)超ド級の「変な人」でした。
なので、当時の人々は、好奇心から、彼女の奇行をあげつらってもてあそび、「オモチャ」にしていました。それらが彼女の心身をおとしめる原因の一つであったことは間違いありません。
しかし、表舞台ではないプライベート・ビデオから伝わる彼女の姿は、(天才であったとはいえ)歌うことが大好きで笑顔の素敵なヤンチャで惚れた腫れたで一喜一憂したり些細なことで泣いたり笑ったりする、どこにでも居そうなごくごく「普通の女の子」(今の私の年齢からするとだいぶ年下なのであえてここではそう表現します)でした。
彼女の奇行がもともとなかったとは言えませんが、それらを悪化させたのは、埋まらない心のどこかからくる恐怖を紛らわすための、薬物やアルコールの過剰使用であったことが、映画を観ればわかります(そしてそれらが彼女の命を奪いました)。
観るのもツラいというか哀しいのですが、彼女が亡くなる約一ヶ月前のパフォーマンスがこちらの映像なのですが、もうまともに歌えていませんし、怒っているような苦しいような悲しいような、なんとも言えない表情が胸を打ちます…:
※これは私の個人的な感想なので、もちろん映画を観た方が全く異なる感想を持つこともあるだろうと思います↓
映画を観ていて、彼女が唯一「変」であり、そして決定的に彼女に欠けていた、
「普通の人は持っているのに、彼女は持っていないモノ」
があることに私は気が付き、それこそが彼女の心身を蝕む最大の原因だったのではないか、と思いました。
それは、
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